ず善行為とは凡《すべ》て人格を目的とした行為であるということは明《あきらか》である。人格は凡ての価値の根本であって、宇宙間においてただ人格のみ絶対的価値をもっているのである。我々には固より種々の要求がある、肉体的欲求もあれば精神的欲求もある、従って富、力、知識、芸術等種々貴ぶべき者があるに相違ない。しかしいかに強大なる要求でも高尚なる要求でも、人格の要求を離れては何らの価値を有しない、ただ人格的要求の一部または手段としてのみ価値を有するのである。富貴、権力、健康、技能、学識もそれ自身において善なるのではない、もし人格的要求に反した時にはかえって悪となる。そこで絶対的善行とは人格の実現|其者《そのもの》を目的とした即ち意識統一其者の為に働いた行為でなければならぬ。
[#ここから1字下げ]
 カントに従えば、物は外よりその価値を定めらるるのでその価値は相対的であるが、ただ我々の意志は自ら価値を定むるもので、即ち人格は絶対的価値を有している。氏の教は誰も知る如く汝および他人の人格を敬し、目的其者 end in itself として取扱えよ、決して手段として用うる勿《なか》れということであった
前へ 次へ
全260ページ中196ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
西田 幾多郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング