あるとすれば、我々の人格とは直《ただち》に宇宙統一力の発動である。即ち物心の別を打破せる唯一実在が事情に応じ或特殊なる形において現われたものである。
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我々の善とは斯の如き偉大なる力の実現であるから、その要求は極めて厳粛である。カントも「我々が常に無限の歎美と畏敬《いけい》とを以て見る者が二つある、一は上にかかる星斗|爛漫《らんまん》なる天と、一は心内における道徳的法則である」といった。
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第十一章 善行為の動機(善の形式)
上来論じた所を総括していえば、善とは自己の内面的要求を満足する者をいうので、自己の最大なる要求とは意識の根本的統一力即ち人格の要求であるから、これを満足する事即ち人格の実現というのが我々に取りて絶対的善である。而《しか》してこの人格の要求とは意識の統一力であると共に実在の根柢における無限なる統一力の発現である、我々の人格を実現するというはこの力に合一するの謂《いい》である。善はかくの如き者であるとすれば、これより善行為とは如何なる行為であるかを定めることができると思う。
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