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[#ここで字下げ終わり]
然らば真に人格|其者《そのもの》を目的とする善行為とは如何なる行為でなければならぬか。この問に答うるには人格活動の客観的内容を論じ、行為の目的を明にせねばならぬのであるが、先ず善行為における主観的性質即ちその動機を論ずることとしよう。善行為とは凡て自己の内面的必然より起る行為でなければならぬ。曩《さき》にもいったように、我々の全人格の要求は我々が未だ思慮分別せざる直接経験の状態においてのみ自覚することができる。人格とはかかる場合において心の奥底より現われ来《きた》って、徐《おもむろ》に全心を包容する一種の内面的要求の声である。人格其者を目的とする善行とは斯《かく》の如き要求に従った行為でなければならぬ。これに背《そむ》けば自己の人格を否定した者である。至誠とは善行に欠くべからざる要件である。キリストも天真爛漫|嬰児《えいじ》の如き者のみ天国に入るを得るといわれた。至誠の善なるのは、これより生ずる結果の為に善なるのでない、それ自身において善なるのである。人を欺くのが悪であるというは、これより起る結果に由るよりも、むしろ自己を欺き自己の人格を否定するの故であ
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