ことができる。これを要するに我々の主観的統一と自然の客観的統一力とはもと同一である。これを客観的に見れば自然の統一力となり、これを主観的に見れば自己の知情意の統一となるのである。
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物力という如き者は全く吾人の主観的統一に関係がないと信ぜられている。勿論これは最も無意義の統一でもあろう、しかしこれとても全然主観的統一を離れたものではない、我々が物体の中に力あり、種々の作用をなすということは、つまり自己の意志作用を客観的に見たのである。
普通には、我々が自己の理想または情意を以て自然の意義を推断するというのは単に類推であって、確固たる真理でないと考えられている。しかしこは主観客観を独立に考え、精神と自然とを二種の実在となすより起るのである。純粋経験の上からいえば直にこれを同一と見るのが至当である。
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第九章 精 神
自然は一見我々の精神より独立せる純客観的実在であるかのように見ゆるが、その実は主観を離れた実在ではない。いわゆる自然現象をばその主観的方面即ち統一作用の方より見れば凡《すべ》て意識現象となる。たと
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