という。現に今日の動植物の中に一定不変の典型がある。氏はこの説に基づいて、凡て生物は進化し来ったものであることを論じたのである。
[#ここで字下げ終わり]
然らば自然の背後に潜める統一的自己とは如何なる者であるか。我々は自然現象をば我々の主観と関係なき純客観的現象であると考えているが故に、この自然の統一力も我々の知り得べからざる不可知的或者と考えられている。しかし已に論じたように、真実在は主観客観の分離しないものである、実際の自然は単に客観的一方という如き抽象的概念ではなく、主客を具したる意識の具体的事実である。従ってその統一的自己は我々の意識と何らの関係のない不可知的或者ではなく、実に我々の意識の統一作用その者である。この故に我々が自然の意義目的を理会するのは、自己の理想および情意の主観的統一に由るのである。たとえば我々が能く動物の種々の機関および動作の本に横《よこた》われる根本的意義を理会するのは、自分の情意を以て直にこれを直覚するので、自分に情意がなかったならば到底動物の根本的意義を理会する事はできぬ。我々の理想および情意が深遠博大となるに従って、いよいよ自然の真意義を理会する
前へ
次へ
全260ページ中109ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
西田 幾多郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング