ヘ、我々の個人的自己をその生命の根柢から否定せんとするものでなければならない。かかるものが、真に我々に対して与えられたものである。行為的直観的に我々の個人的自己に与えられるものは、単に質料的でもなく、単に否定的でもなく、悪魔的に我々に迫り来るものでなければならない。真に我々の魂に迫るものは、かえって抽象論理を以て我々を唆《そその》かすものでなければならない、真理の仮面を以て我々を誑《たぶらか》すものでなければならない。右の如く絶対過去として我々の個人的自己の根柢に迫り来るものに対して、我々は絶対未来の立場に立つものとして、行為的直観的に何処までも形成的である、創造的世界の創造的要素として何処までも創造的である(我々はいつも超越的なるものにおいて自己を有つ、この論文の終参照)。そこに理想主義の根拠があるのである。
行為的直観的に世界を見るということは、逆に行為的直観的に世界を形成することを含むのである。過去は自己自身を否定して未来へ行くべく過去であり、未来は自己自身を否定して過去となるべく未来である。世界が絶対過去として何処までも直観的に、我々の個人的自己をその生命の根柢から奪うという
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