sくものでなければならない。種が固定するといっても、いつも或範囲内では動揺的である。唯それが基準的な形を有《も》ったということである。
動物の行為的直観的とか、概念的とかいうのは、言い過ぎといわれるでもあろう。しかし動物的生命といえども、矛盾的自己同一的現在の自己限定として形成作用的であり、見るということと働くということとが不可分離的でなければならない。例えば、動物の眼の如きものでも、無限なる矛盾的自己同一的形成の結果としてできたものであり、動物そのものの種的生命と離すべからざるものでなければならない。矛盾的自己同一的に実在が把握せられる所に、行為的直観というものがあるのである。それはそこに実在の創造的な生産様式が把握せられるということである。生物的生命の種というものも、かかる弁証法的過程によって出来たものでなければならない。この故にその深き根柢には、イデヤというものを考えることができる。イデヤとはイデールではなく、ヘーゲルのそれの如く弁証法的形成作用でなければならない。行為を離れた直観という如きは、抽象的に考えられたものか、然らざれば幻想に過ぎない。生命は動揺的である。そこにはいつ
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