、ものが出来るのも、かかる過程によるものでなければならない。
個物はいつも絶対矛盾的自己同一即ち自己の生死を問うものに対する。そこに矛盾的自己同一的に一つの生産様式というものが出来るかぎり、個物が生きるのである。無論そこには、いつも種々なる様式が可能でもあろう。種々なる種の成立する所以《ゆえん》である。多と一との絶対矛盾的自己同一の世界において、矛盾が解かれるかぎり、一つの種が成立するのである。行為的直観的なるかぎり、種的生命が成立するということができる。種も生命も既に弁証法的である(概念的であるのである)。種によって個が生き、個によって種が生きるかぎり、種の生命であるのである。生命はいつも動揺的である、動揺的なるかぎり生命というものがあるのである。弁証法的発展というのは、与えられたものを外から否定するのでなく、与えられたものそれ自身が自己矛盾的として、自己の内から自己を越え行くことでなければならない。生物的生命といえども、単に機械的でもなければ合目的的でもない。今日固定せる種と考えられるものも、無限なる弁証法的発展の結果として成立したものであり、それはまたいつかは変じ行くもの、亡び
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