ニいうことでなければならない。かかる世界において個物が客観界において自己を有《も》つ、即ち物において自己を有つということが我々が財産を有つということである。故に我々が財産を有つということは、単に個人の働きによって爾いい得るのではなく、客観的世界によって承認せられなければならない、世界において或個人の物として表現せられねばならない、主権から認められなければならない。多と一との矛盾的自己同一として表現的に自己自身を形成する世界は、法律的でなければならない。我々が物において身体を有つということは法律的でなければならない。ヘーゲルによるも(Philos. d.Rechts. §29)、存在が自由意志的存在と見られることが法律である。作られたものから作るものへとして、我々がポイエシス的である、歴史的身体的であるということは、我々の社会が本能的ではなく、既に法律的であるということでなければならない。ポイエシスということが可能なるのは、法律的に構成せられた世界においてでなければならない。人類学者のいう所によれば、原始社会の生産作用も広義において法律的に支配せられているのである。而してまたそれらの社会
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