ヲられないのであるが、ラヴェッソンなどの哲学においては、習慣というものが世界観の根本的な役目をしている。ラヴェッソンはシェリングの影響を受けたというが、シェリングの同一が、メーン・ドゥ・ビランの影響によって、ラヴェッソンにおいて習慣となったと考えられるのは面白い。如何に同様な考え方がドイツとフランスとによって異なるかが分る。ロックの経験論の影響を受けたコンディヤックの流からメーン・ドゥ・ビランなどが出たのも同様である。無論、コンディヤックの感覚というのが、既にロックなどの感覚というものと同一のものでなかったかも知れない。

 フランス哲学で合理主義といっても、単に概念的でない。デカルトが clare et distincte[明晰判明]という所に、既に視覚的なものがある。優れたフランスの思想家の書いたものには、ショペンハウエルが深くて明徹なスウィスの湖水に喩《たと》えたようなものが感ぜられる。私はアンリ・ポアンカレのものなどにそういうものを感ずるのである。

 我国では明治の初年は如何にあったか知らないが、大体二十年頃以前は英国哲学の影響を受け、二十年頃以後はドイツ哲学の影響を受けて、
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