した通りに余にも謝し、一昨夜手痛く此の身を捕縛して呉れたのが有難かったなどと云い更に「叔父上が切《しき》りに貴方をお召しです」と云った、再び叔父の室へは行くまいと思うけれど爾も成らず、余「叔父の室には権田と秀子とが居るのでしょう」と問うと、森「イイエ、先刻権田氏が松谷嬢の室へ行ったら嬢は熟睡して居る相です、目を覚まさせるも心ない業と、権田氏は叔父上の室へ帰り、若しやと気遣って念の為に医者を遣りました所、医者の見立てでは何も病気ではなく唯疲労の為だから充分に眠らせて置くが好いと云った相です」余は叔父の前にて再び秀子に逢うが何より辛い、何うせ此の国を立ち去るなら、逢わずに立ち去る事にし度いけれど、秀子が居ぬとならば最う一度叔父に逢い余所ながら暇を告げて置く可きだと思い、顔を洗って再び叔父の病室へ行った、此の時は先刻茲を去ってから既に五時間も経って居る、余は卓子に凭れて纔《わず》かに卅分ほど微睡《まどろ》んだ積りだけれど四時間の余眠ったと見える、頓て叔父の室に入ると、茲へ来て居ぬと思った秀子が来て居る、爾して権田と二人で叔父の枕許に立って居る、扨は既に権田の妻と為る気にでも成って叔父に其の辺の事情でも訴えて居るのか知らんと、余は何となく気が廻る、此の様な事なら来るのではなかったのにと思い、直ぐに引っ返そうとすると「コレ、コレ、道九郎」と早くも叔父に呼び留められた。

第百二十二回 猶此の奥に

 呼び留められて真さか逃げ去る事も出来ぬ、厭々ながら叔父の室に歩み入ると、叔父「道九郎、宜い所へ来て呉れた、丁度今、秀子も起きて来たのだから、己は先刻話した通り、充分に詫びを仕ようと思うて居る、其の方も、何うか言葉を添えて呉れ」真に叔父の言葉は秀子に対し、子を愛する様な愛と詫び入る人の誠心《まごころ》とを籠めて居る。
 叔父が此の様に云うて秀子の手を取ると、秀子は「勿体ない、私に詫びるなどと、お詫びは数々私から申さねば成りませぬ」と云い、叔父の手を払い退けて寝台の前に膝を折った、此の時の秀子の様は先刻高輪田長三の天罰を叫んだ時とは又全く変って居る、多分は一眠りして心の休まった為でも有ろうが、併し夫ばかりではない、何となく寛《ゆるや》かに落ち着いて、云わば神の使いに天降った天津乙女《えんじぇる》が其の使命を果たし、恭々しく復命する時の様も斯くやと、思われる所が有る、殆ど全く日頃の顔附きとも違って美しさは非常に美しく、爾して而も凛として侵し難い風采も見える、何でも一方ならぬ事柄を言い出す決心に違いない。
 秀子の言葉は、先ず「父上」と呼び掛ける声に始まった、日頃呼ぶ父上との言葉より又一種の深い心情が洩れて居る。
「父上、私こそ偽りの身を以て此の家に入り込んで居たのです、ハイ全く皆様を欺いて居たのも同じ事で、早くお詫びをする時が来れば好いと心にそれのみを待って居ましたが、今は私が輪田夏子で有ると云う事の分ったと共に、人殺しなど云う恐ろしい罪を犯した者でない事も分り、云わば誰に恥じるにも及ばぬ潔白の身と為りましたから、之がお詫びの時だろうと思います、ハイ兼ねて私は我が心に誓って居ました、此の身の潔白が分れば好し、若し分らずばそれを分らせる為に此の世と戦いながら死ぬる者と、ハイ死ぬ迄も自分の本統の素性、本統の身分姓名は打ち明けずに終ろうと」
 本統の素性、姓名は即ち輪田夏子で有るのに斯う聞けば猶此の奥に、別に本統の素性、姓名が有るのかと怪しまれる、斯う思うて聞くうちに秀子の声は、細けれど益々明らかな音調を帯びて来る人間の声ではなく殆ど天の音楽の声である「私は之が為に、今まで若い女の着る様な美しい着物は被ず、世に日影色と云われる墨染の服を着け、自分で日影より出ぬ心を示して居ました、それにもこれにも皆深い訳が有り、其の訳の為に自然と皆様を欺くに当る事とも成り素性を隠すにも立ち到りました、能くお聞き下さいまし、今より二十年余りの昔、不幸な一婦人が有りました、所天《おっと》との間に少しの事から思い違いを生じ、所天が自分を愛せぬ者と思い詰め、涙ながらに唯一人の幼い娘を懐き、所天の家を忍び出て米国へ渡りました」
 余り縁も由かりもなさ相な事柄では有るけれど、是が輪田夏子の真の素性を語るのかと思えば余は熱心に聞き入りて、殆ど膝の進むも覚えぬ程である、何しろ此の秀子、此の輪田夏子には、お紺婆の養女で有ったと云うよりも猶以前に何等かの生長《おいたち》がなくては成らぬ、何うやら其の成長から語る積りらしい、権田時介も余と同じく傾聴して居る、余の叔父に至っては殆ど全身が耳ばかりに成った様である、秀子「其の婦人が米国に着き、未だ身の落ち着きも定まらず、宿屋に日を暮して居ますうち、其の土地に大火事が有り、宿屋は焼け、多くの旅人が焼け死にました、其の婦人も娘と共に焼け死んだうちへ数えられたと云う事ですけれど、実は幸いに助かって、怪我をしたままで或る人に救われました」
「其の救うた人と云うのが私の養母輪田お紺です、お紺は素性の賤しい女では有りましたけれど親戚とやら遺産を受け継ぎ一方ならぬ金持と為って、此の塔を買い取り、爾して猶有り余る金を旅費とし、一年ほど諸国を旅行し、遂に米国に参り、今申す火事の時、丁度其の土地に居わせし為、直ぐに怪我人の中から右の婦人と其の娘とを引き取ったのです、中々お紺は人を救う様な女では無かったと世間の人が申しますけれど、元々其の婦人の家筋に奉公し其の婦人を主人として、爾して其の婦人から恩を受けた事が有るとか申しまして多分は其の恩返しの為ででも有ったのでしょう、一説に由ると恩返しなどの為ではなく、実は幽霊塔の底に宝の有る事を知り其の宝を取り出した時に法律の上から争いが起こっては困るから、夫ゆえ幽霊塔の持主の血筋を引いて居る者を自分の手許へ育って置く為で有ったとも申しますが私は其のお紺の養女として其の養母の事を悪し様に判断する事は出来ませんから、真さかに爾とは思いません」
 叔父は是まで聞き最早黙し兼ねたと見え、否寧ろ心の底より湧き起こる真情の為、堅く結びし唇を内より突き破かれし者と思《おぼ》しく、噴火の如く声を発して「左すれば其の婦人が丸部家の総本家の血筋を引ける者であったか」秀子「ハイ左様です」叔父「シテ其の婦人は」秀子「所天を恨んだ我が過ちを深く悔い所天に謝罪《わび》をする折を待つうち、空しく五年を経、此の幽霊塔でお紺の世話に成ったまま死にました、実は其の間に所天へ謝罪する折も有っただろうと思います、けれどお紺が毎も之を遮り、所天の怒りが仲々に強いから未だ其の時ではない、ない、と云い、気永く待つが肝腎だとて一年又一年と延しました、其のうちに死んだのです、死に際に、其の時丁度六歳になる娘へ懇々と言い含め、我が亡き後で、何うか父上に廻り逢い、我が身に代えて謝罪て呉れ其の謝罪の叶うまでは、死んでも浮かぶ事が出来ぬと云いました、父上は心の堅いお方ゆえ、娘よ、和女が立派な人と為り、自然と交際の上でお目に掛かる様にでも成らねば仲々逢っては下さるまい、何うか大人しく成長して、立派な身分に成る様に、成るようにと云いつつ亡くなられました」叔父「シテ其の娘は何した今でも未だ活きて居るのか、何所に居る、何所に居る」秀子「ハイ其の娘は、立派な身分に成りはせず、十七の年、世にも恐ろしい疑いを受け、養母殺しの罪人だとて終身の刑に処せられました、それでも此のまま牢死しては母の死に際の頼みを果たす事が出来ぬと思い、様々の事をして牢を脱け出し、今貴方の前に母にかわってお謝罪をして居るのです」叔父は寝台より辷り降り「オオ我が娘で有ったのか」と、抱き上げて熱い涙を真に雨の様に秀子の背に潜々《さめざめ》と降らせ落とした。

第百二十三回 大団円

 秀子の物語には叔父のみでなく余も泣いた、権田時介も泣いた、殊に時介は、一種奇妙な義侠心の有る男で、自分の感情の為には命でも身代でも惜しまぬと云う意気を備え、既に秀子が為に業務を抛《なげう》つ程にまで働いたのも愛の為とは云え平生其の意気の有る人でなくては出来ぬ事、従っては斯る場合の感動も人一倍強いと見え、顔に当てた手巾《はんけち》の中から歔欷《すすりなき》の声を洩らした。
 実に秀子の今までの境遇を考えて見れば是が泣かずに居られようか、我が父に逢って母の遺言を果たし度いとそれのみを心掛けて居るうちに、無実の罪に捕えられ何と言い開くも聴かれずして遂に牢の中の人と為り、命掛けの手段を以て漸く牢を出てからも人の一生に見た事もないほどの艱難辛苦を嘗めて居る、之を思うと余は最愛《いと》しさが百倍するけれど、悲しや其の人は既に他人の物、余は其の最愛しさを憎さと見せて居ねば成らぬ。
 若し秀子が艱難も漸く届き今は其の身の潔白が分ると共に父に向かって母の死に際の願いを伝える事に立ち到ったのである、悲しさを別にして嬉しさのみの為にも涙が出る。
 是で今まで合点の行かなんだ様々の事も分る、密旨の第三は確かに、父と親子の名乗りをして母の言葉を伝えるに在ったのだ、又叔父が初めて秀子に逢ったとき、分れた妻に似て居ると云って、殆ど我が子の様に思い、手を盡くして遂に養女にしたのも尤もである。
 秀子は父の泣き鎮まり、其の身の心も稍や落ち着くを待って又説き始めた、「私をお紺の養女にする事は、勿論母が拒みました、けれどお紺が云うには本名の儘で母子が茲に忍んで居ると分れば父上が何れほど立腹遊ばすかも知れぬゆえ、後々は兎も角も帰参の叶う時までは自分の子にして、人に何者とも悟られぬ様にして置かねば成らぬなど言葉巧みに説きまして遂に私を輪田の姓に直し、本名の春子をも夏子と改めて了いました、私は松谷秀子でもなく輪田夏子でもなく生まれてからの丸部春子です」叔父は春子と云う其の名さえも懐かしいと見え「オオ春子、春子、此の己が妻と相談して附けた名だ」秀子は此の言葉にも話の筋道を失わず「多分はお紺が私を養女にして置けば、絶えた丸部総本家の遺産が世に現われても法律の事から人に争われるに及ばぬと思っての為でしょう、其の様な事は後に成って気が附きました、それから程経て、牢に入った時私は輪田の姓を名乗って居て好かったと思いました、若し丸部春子と云う名前で此の様な嫌疑を受ければ、昔から汚れた事のない丸部一家の名を、私に至って初めて汚し先祖に対しても父上に対しても申し訳のない所でした、けれど牢に入った其の時から何う有ってももう一度此の世に出ねば成らぬ、出た上で此の罪が自分でない事を知らせ、爾して母上の遺命を果たさねば成らぬと固く心に誓いました」
 此の様な深い仔細の有る女と誰が思いも寄ろう者ぞ、「其の後漸く牢からは出ましたけれど、愈々此の身の潔白を知らせる事が出来るや否や覚束なく、幾度か絶望して、迚も念願が届かぬ様なら寧《いっ》そ輪田夏子の儘で、汚名を被せられた儘で、終わったが好かったのにと思いました、若し此の汚名が晴れぬ間は、ハイ其の誠の罪人を探し出し、全く輪田夏子は無実の罪で刑せられたと誰に向かっても明らかに言い切る事の出来る様に成らぬ間は、決して此の身の素性を知らせては成らず、縦しや父上に逢ったとて母の遺言を果たす事が出来ぬもの、此の身は自分の姓名でない姓名の下に生涯を送らねば成らぬ者と、斯う思い定めました、それが為に、父上をも世間の人をも欺かねば成らぬ事と為り今が今まで偽りし身を以て此の家に入り込んで居ましたのは母上の罪と共に幾重にもお許しを願います」
 叔父は「オオ娘で有ったのか」と幾度も繰り返して、小児《こども》を抱く様に秀子、イヤ春子を抱き、春子も亦親に親しむ小児の様に父の胸に顔を当て只涙に暮れて居た、其のうちに叔父は気を取り直した様子で余に向かい「此の子が丸部春子と分れば、勿論此の家の後継で有る、コレ道九郎、兼ねて後継として養子にして有る其の方と夫婦たる可き事は無論である、殊に其の夫婦約束までしていた者を、俄に他人同様と為ったとは何う云う訳だ、定めし仔細も有ろうけれど――」と言い掛けて猶言葉も終わらぬに、聞いて居た権田時介は全く感奮した様で身を投げ捨てる様に立ち上った、悪人が翻然と
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