幽霊塔
黒岩涙香
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)叔父|丸部朝夫《まるべあさお》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)叔父|丸部朝夫《まるべあさお》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、底本のページと行数)
(例)※[#「※」は底本では、つつみがまえの中に夕、24−下11]《そう》
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)嵩じ/\た果が
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
第一回 ドエライ宝
「有名な幽霊塔が売り物に出たぜ、新聞広告にも見えて居る」
未だ多くの人が噂せぬ中に、直ちに買い取る気を起したのは、検事総長を辞して閑散に世を送って居る叔父|丸部朝夫《まるべあさお》である。「アノ様な恐ろしい、アノ様な荒れ果てた屋敷を何故買うか」など人に怪しまれるが夏蝿《うるさ》いとて、誰にも話さず直ぐに余を呼び附けて一切買い受けの任を引き受けろと云われた。余は早速家屋会社へ掛け合い夫々《それぞれ》の運びを附けた。
素より叔父が買い度いと云うのは不思議で無い、幽霊塔の元来の持主は叔父の同姓の家筋で有る。昔から其の近辺では丸部の幽霊塔と称する程で有った。夫が其の家の零落から人手に渡り、今度再び売り物に出たのだから、叔父は兎も角も同姓の旧情を忘れ兼ね、自分の住居として子孫代々に伝えると云う気に成ったのだ。
買い受けの相談、値段の打ち合せも略《ほ》ぼ済んでから余は単身で其の家の下検査に出掛けた、土地は都から四十里を隔てた山と川との間で、可なり風景には富んで居るが、何しろ一方《ひとかた》ならぬ荒れ様だ、大きな建物の中で目ぼしいのは其の玄関に立って居る古塔で有る。此の塔が英国で時計台の元祖だと云う事で、塔の半腹《なかほど》、地から八十尺も上の辺に奇妙な大時計が嵌《はま》って居て、元は此の時計が村中の人へ時間を知らせたものだ。塔は時計から上に猶七十尺も高く聳えて居る。夜などに此の塔を見ると、大きな化物の立った様に見え、爾《そう》して其の時計が丁度「一つ目」の様に輝いて居る。昼見ても随分物凄い有様だ。而し此の塔が幽霊塔と名の有るのは外部の物凄い為で無くて、内部に様々の幽霊が出ると言い伝えられて居る為で有る。
管々《くだくだ》しけれど雑と此の話に関係の有る点だけを塔の履歴として述べて置こう。昔此の屋敷は国王から丸部家の先祖へ賜わった者だが、初代の丸部主人が、何か大いなる秘密を隠して置く為に此の時計台を建てたと云う事で有る。大いなる秘密とは世間を驚動する程のドエライ宝物で、夫《それ》を盗まれるが恐ろしいから深く隠して置く為に、十数年も智慧を絞って工夫を廻らせヤッと思い附いて此の時計台を建てたと云うのだ、所が出来上ると間も無く主人が行方知れずに成った、イヤ行方知れずでは無い、塔の底の秘密室へ(多分宝物を数える為に)降りて行ったが、余り中の仕組が旨く出来過ぎた為に、自分で出て来る事が出来ず、去《さ》ればとて外の人は何うして塔の中へ這入るか分らず、何でも時計の有る所まで行かれるけれど其の所限りで後は厚い壁に成って一歩も先へ進めぬから、救いに行く事も出来ぬ、其の当座幾日の間は、夜になると塔の中で助けて呉れ、助けて呉れと主人の泣く声が聞こえる様に思われたけれど、家内中唯悲しんで其の声を聞く許りで如何とも仕方が無い、塔を取り頽すと云う評議も仕たが、国中に内乱の起った場合で取り頽《くず》す人夫も無く其のまま主人を見殺し、イヤ聞き殺しにした、けれど真逆《まさか》に爾《そう》とも発表が出来ぬから、主人は内乱に紛れて行方知れずに成ったと云う事に噂を伏せて仕舞ったそうだ。
其の後は此の主人が幽霊に成って出ると云う事で元は時計塔と云ったのが幽霊塔と云う綽名で通る事と為り、其の後の時計塔は諸所《しょじょ》に出来た者だから、単に時計塔とばかりでは分らず公《おおやけ》の書類にまで幽霊塔と書く事に成った、勿論ドエライ宝が有ると云う言い伝えの為にも其の後此の塔を頽そうかと目論《もくろ》む者が有ったけれど、別に証拠の無い事ゆえ頽《くず》した後で若し宝が出ねば詰まらぬとて、今以て幽霊塔は無事で居る。
余が下検査の為此の土地へ着いたのは夏の末の日暮頃で有ったが、先ず塔の前へ立って見上げると如何にも化物然たる形で、扨は夜に入るとアノ時計が、目の玉の様に見えるのかと、此の様に思ううち、不思議や其の時計の長短二本の針がグルグルと自然に廻った。時計の針は廻るのが当り前とは云え、数年来住む人も無く永く留まって居る時計だのに、其の針が幾度も盤の面を廻るとは余り奇妙では無いか、元来此の時計は塔其の物と同じく秘密の仕組で、何《ど》うして捲き何うして針を動かすかは、代々此の家の主人の外に知る者無く、爾して主人は死に絶えた為に恐らくこの針を動かし得る人は此の世に無い筈だ、余の叔父さえも、数日来色々の旧記を取り調べて此の時計の捲き方を研究して居た、余は若《も》しや川から反射する夕日の作用で余の眼が欺されて居るのかと思い猶能く見るに、全く剣が唯独りで動いて居るのだ。真逆幽霊が時計を捲く訳でも有るまい。
第二回 幽霊の正体
誰が何《どう》して戸を捲くかを知らぬ錆附いた時計の針が、塔の上で独りで動き始めるとは唯事で無い、併し余は是しきの事には恐れぬ、必ず仔細が有ろうから夫を見出して呉れようと思い、直ちに進んで塔の中へ這入った。
勿論番人も無い、入口の戸も数年前に外した儘で、今以て鎖して無い、荒《あば》ら屋中の荒ら屋だ、頓《やが》て塔へ上る階段の許まで行くと、四辺が薄暗くて黴臭く芥《ごみ》臭く、如何にも幽霊の出そうな所だから、余は此の屋敷に就いての一番新しい幽霊話を思い出した、思うまいと思っても独り心へ浮んで来る。其の話たるや後々の関係も有るから茲に記して置くが、此の屋敷を本来の持主たる丸部家から買い取ったのは、其の家に奉公して居た輪田お紺と云う老女だ、何でも濠洲へ出稼ぎして居る自分の弟が死んで遺身《かたみ》として大金を送って来たと云う事で、其の金を以て主人の屋敷を買い取り、此の塔の時計室の直下《すぐした》に在る座敷を自分の居間にして、其の中で寝て居たが、或る夜自分の養女に殺されて仕舞った、夫《それ》は今より僅かに六年前の事で、其の時から今まで此の屋敷はガラ空になって居るが、其の老女の亡魂も矢張り幽霊に成って其の殺された室へ今以て現れると云う事だ、其の室は丁度余が立って居る所の頭の上だ、斯う思うと何だか頭の上を幽霊が歩いて居る様な気もする。
爾して其の殺した方の養女と云うは直ぐに捕まり裁判に附せられたが、丁度余の叔父が検事をして居る頃で、叔父は我が為に本家とも云う可き同姓の元の住家へ又も不吉な椿事を起させた奴と睨み、多少は感情に動かされたが、厳重に死刑論を唱えて目的を達した。勿論其の女は決して自分が殺したので無いと甚《ひど》く言い張ったけれども何よりの証拠は左の手先の肉を、骨へまで死人に噛み取られて居て、死人の口に在る肉片と其の手の傷と同じ者で有った上幾多の似寄った証拠が有った為言い開きは立たず、死刑とは極ったが唯|丁年《ていねん》未満で有った為一等を減じて終身の禁錮《きんこ》になり、四年ほど牢の中に苦しんで終に病死した、其の女の名は確かお夏――爾だ輪田お夏と云った。
余は此の忌わしい話を思い出し、少し気が怯《ひるん》だけれど、素より幽霊などの此の世に在る事を信せず、殊には腕力も常人には勝れ、今まで力自慢で友人などにも褒められて来た程だから「ナアニ平気な者サ」と故《わざ》と口で平気を唱え、階段を登り始めた。
登り登りて四階まで行くと、茲が即ち老女輪田お紺の殺された室だ。伝説に由ると室の一方に寝台が有って、其の上からお紺が口に人の肉を咬え顋《あご》へ血を垂らしてソロソロ降りて来ると云う事だ、何分にも薄暗いから、先ず窓の盲戸を推開《おしあ》けたが、錆附いて居て好くは開かぬ。夫に最も夕刻だから大した明りは射さぬ。何処に其の寝台が有るか、此の上の時計の裏へは何して登られるかと、静かに透す様にして室の中を見て居ると、一方の隅で、人の着物を引き摺る様な音がする、其の中に眼も幾分か暗さに慣れたか、其の音の方に当り薄々と寝台の様な物も見える。
すると其の寝台の上に、何だか人の姿が有って起き直る有様が殆ど伝説の通りで在る、此の様な時には暗いのが何より不利益(幽霊にとっては利益かも知らぬが)だから余は窓の方へ寄り、最《もう》一度|盲戸《めくらど》を今度は力一杯に推して見た、未だ盲戸は仲々開かぬに、怪しい姿はソロソロと寝台を下り、余の傍へ寄って来るが併し足音のする所を見ると幽霊では無さ相だ、けれど幽霊よりも却って薄気味が悪い。余は猶も力を込めて戸を推したが、メリメリと蝶番《ちょうつがい》が毀れて戸は下の屋根へ落ち、室の中が一時に明るく成った、とは云え夕明りで有るから昼間ほどには行かぬが幽霊の正体を見届けるには充分で有る。
「能く其の戸が脱《はず》れましたよ、私しも開け度いと思い、推して見ましたけれど女の力には合いませんでしたが」
之が幽霊の発した初めての声で音楽の様に麗しい、余は荒々しく問い詰める積りで居たが、声の麗しさに、聊《いささ》か気抜けがして柔《やさ》しくなり、「今し方、大時計の針を動したのは貴女でしたか」
と、問いつつ熟々《つくづく》其の姿を見ると、顔は声よりも猶麗しい、姿も婀娜《なよなよ》として貴婦人の様子が有る、若し厳重に批評すれば其の美しさは舞楽に用ゆる天女の仮面と云う様な塩梅《あんばい》で、生きた人間の顔としては余り規則が正し過ぎる。三十二相極めて行儀好く揃って居る。若しや此の女は何か護謨《ごむ》ででも拵え屈伸自在な仮面を被《かぶ》って居るのでは無かろうか、併し其の様な巧みな仮面は未だ発明されたと云う事を聞かぬ。愈々之が仮面で無くて本統の素顔とすれば絶世の美人である、余は自分の女房にと叔父や当人から推し附けられ、断り兼ねて居る女は有るけれど、断然其の女を捨てて此の女に取り替えねばならぬ、と殆ど是ほどまでに思った。真逆《まさか》に此の天女の様な美人が今まで主人無しに居る筈も無く、縦《よ》しや居たとてそう容易《たやす》く余に靡《なび》く筈は無く、思えば余の心は余り軽率過ぎたなれど、此の時は全く此の様にまで思った、夫だから此の美人の顔が仮面で有るか素顔で有るか、物を云う時には看《み》破らんと、熱心に目を光らせて待って居ると、美人は少し余の様子を頓狂に思ったか笑みを浮べて、
「ハイ今し方、此の時計を捲いたのは私ですよ」
仮面で無い、仮面で無い、本統の素顔、素顔。
第三回 左の手
此の美人は何者だろう、第一、此の荒れ果てた塔の中に、而も輪田お紺の幽霊が出ると云われる室の中に、丁度其のお紺の寝たと云う寝台の上に、唯一人で居たのが怪しい、第二には此の世に知った人の無い秘密、即ち時計の捲き方を知って居るのが怪しい、第三に、故《わざ》々其の時計を捲いたのが怪しい、余は初めに其の顔の美しさに感心し、外の事は心にも浮かばずに居たが、追々斯様な怪しさが浮かんで来た、猶此の外に怪しい箇条が有るかも知れぬ、怪しんで暫し茫然として居ると、塔の時計が鳴った、数えると七時である、自分の時計を出して眺めると如何にも七時だ、美人は余の怪訝な顔を見て、可笑しいのか「ホ、ホ」と笑み「塔の時計の合って居るのが不思議ですか」と余を揶揄《からか》う様に云った、其の笑顔の美しさ、全体此の様な辺鄙な土地へ是ほどの美人が来て居るのさえ怪しいと云う可しだ。
「貴女は全体何者です」と余は問い度《た》くて成らぬが、美人の優れた顔と姿とを見ては其の様な無躾な問いは出ぬ、咽喉の中で消えて仕舞う、総《すべ》ての様子総ての振舞が何と無く世の常の女より立ち勝り、世に云う水際が離れて居るから、余は我にもあらで躊躇して、唯|纔《わずか》に「貴女は何故に塔の時計をお捲き成されました」と問うた、美人「ハイ多分斯う
次へ
全54ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒岩 涙香 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング