すれば捲けるだろうと思い、自分の工風を実地に試験して見たのです」余「何の為に其の様な試験などを成さるのです」美人「誰も此の時計の捲き方を知った者が無いと云いますから試して置いて、爾《そう》して相当の人に教えて上げ度いと思いました」余「ですが全体貴女は何うして其の捲き方を考えました」美人「ホヽ夫《それ》は云う可き事柄で有りません」
益《ます》々怪しいけれど、兎に角此の世に、此の時計の捲き方を知る人の有るは、調べ倦《あぐ》んで居た余の叔父に取っては非常の好都合に違い無い、余「では、私に教えて下さる訳には――」と言い掛けると美人は少し真面目になり「イヤ貴方は相当の人で有りますまい、此の捲き方は一つの秘密で、塔の主人より外へは知らせて成らぬと昔から云い伝えられて居る相ですから、私も塔の持主より外へ知らせる事は出来ません」余「近々、私の叔父が此の塔を買い取るのです」美人「夫では貴方の叔父さんへお伝え申しましょう、併し夫もお目に掛って直々《じきじき》にで無くては」余「イヤ叔父は定めし喜びましょう、私が屹《き》っと叔父を貴女へお目に掛らせる事に計らいますから、何《ど》うぞ其の節は」美人は少しも迷惑そうで無く、却って何だか満足の様子で「ハイお教え申しましょう」余「ですが貴女は此の塔に」美人「イイエ、私は此の塔に少しも関係は無い者です」余「けれど時計の捲き方まで心にお掛け成さるとは」美人「其の様に諄《くど》くお問いなさると私は怒りますよ、塔に少しも関係の無い者と申せば夫で好いでは有りませんか」柔しい中に犯し難い口調を罩《こ》めて言い切った、色々問い度い事ばかりだけれど此の後は問う訳に行かぬ、其の中に分る時が有るだろうと断念《あきら》めて口を噤んだ、スルト今度は美人から反対《あべこべ》に「貴方は此の塔の中を色々検査成さるお積りでしょうね」と問い掛けた、勿論其の積りでは有るけれど、最と能く美人の素性を見極め度いと思い「ハイ斯う日が暮れては検査も出来ませんから、明日の事として、是から貴女をお宿まで送りましょう」随分無躾な言い方では有るが美人は別に怒りもせず「イエ猶《ま》だ私は少し見度い所が有りますから」と答え、早や余に背を向けて塔の下へ降りて行く、余は急いで後に尾き、共々に階段を降ったが、美人は玄関の方へは出ず、裏庭の方へ出た、此の時既に七時を過ぎ、暮色蒼茫と云う時刻だ、美人は衣服の襞《ひだ》を探って地図の様な者を取り出し、独りで庭の方々を見廻す様子ゆえ、余は首を差し延べ、其の地図を窺いたが、能くは見えねど此の屋敷の略図らしい、一方には河が有り堀が有り、爾して庭の小径など記して有る、併し地図よりも猶目に付いたは、美人の身|姿《なり》だ、着物は高価な物では無い、不断着には違い無いが、肩から裳まで薄い灰色の無地だ、灰色は鼠色の一種で日影色とも云い、縁喜の能く無いFだと信じられて居て、殊に年の若い婦人などは之を厭がる、其の厭がるのを何故に着けて居るだろうと是も怪しさの一つに成ったが、頓て其の手を見ると、着物の怪しさを忘れて仕舞った、左右とも手袋を被《はめ》ては居るが左の手には異様な飾りが附いて居る、細かな金の鎖を網に編み、所々へ真珠を繋いで有って、夫《それ》が袖口の奥の方から出て来て、爾して手袋へ続いて居る、余は此の様な手袋は見た事が無い、飾り気の少しも無い総体の身姿にも不似合だ、何か此の手袋で隠して居るのでは無かろうかと此の様な気がして成らぬ、併し問い試ねる訳にも行かぬ。
其のうちに美人は堀の土堤を、庭の奥の方へ歩み初め、一丁余も行って終に堤下に降りた、茲に大きな榎木が五六本聳えて居る、其の一本の下に余り古く無い石碑が立って居る、土の盛り方や石の色では昨年頃誰かを葬った者でも有ろうか、屋敷の中に墓の有るのも不思議、誰も住んで居ぬ空屋敷へ新墓の出来るも不思議、余は益々異様に思い、口の中で、思わずも「怪美人」と呟いた、実に怪美人だ、此の美人の身に就いての事は皆な「怪」だ言葉も振舞も着物も飾り物も、爾して妙に此の屋敷の秘密を知って居る事も地図などを持って居る事も、一の怪ならざるは無しだ、頓て美人は新墓の前に跪づいて、拝み初めたが、何だか非常に口惜しいと云う様子が見え、次には憫《あわれ》みを帯び来って両眼に涙を湛えるかと思われた、懐かしい情人の墓か、嫉ましい恋の敵の墓か、何しろ余ほど深く心を動かす様な事柄が有ると見える、余は美人の拝み終るを待ち兼ねて「誰の墓ですか」と云ってズウズウしく降りて行き、石碑の文字を読んだが、少し驚いた。「輪田夏子之墓」と有る。「明治二十九年七月十一日死、享年廿二歳」と左右に記して有る、輪田夏子とは誰、読者は前回の記事を記憶して居るだろう、此の家の主婦輪田お紺の養女で、お紺を殺し終身刑に処せられて牢の中で死んだ殺人者だ、養母殺しの罪人だ、成るほど考えて見ると其のお夏の死骸を、弁護士権田時介と云う者が、前年自分が弁護した由縁《ゆかり》で引き取って此の屋敷へ埋めたと云う事を其の頃の新聞で読んだ事が有る、其の様な汚らわしい者の墓へ此の美人が参詣とは是も怪だ。
第四回 誰の悪戯
養母殺しの大罪人の墓へ参詣するなどは余り興の醒めた振舞ゆえ余は容赦なく「貴女は此の女の親類か友達ですか」と問うた、怪美人は「イイエ、親類でも知人でも有りません」と答えた。益々不思議だ、是が貞女烈女の墓とか賢人君子の墓とか云えば、知らぬ人でも肖《あや》かり度いと思って或いは参るかも知れぬが、人を殺して牢死した者の墓へ、親戚でも知人でも無い者が参るとは、全く有られも無い事だ、余「夫では何の為にお詣り成さる」怪美人は真面目に顔を上げ、
「其の様にお問いなさらずとも、分る時が来れば自然に分りますよ」と云い、其のまま今度は玄関の方を指し徐々《そろそろ》歩み始めたが、何だか意味の有り相《そう》な言葉だ。
余は最《も》そっと深く此の美人の事が知り度く此のまま分れるは如何にも残念だから、猶此の後に附いて歩みながら、横手へ首を突き出して「貴女は先刻、私の叔父へ、時計の捲き方を教えて下さる様に仰有りましたが、何うかお名前などを伺い度く思います」美人は何事をか考え込んで、今までより無愛想に「私は姓名を知らぬ方に自分の姓名は申しません」成るほど余は未だ此の美人に姓名を告げなんだ、「イヤ、私は丸部道九郎と云う者です、叔父は丸部朝夫と申します」美人は少し柔かに「アア兼ねて聞いて居るお名前です、私は松谷秀子と申します」余「お住居は」美人「今夜は此の先の田舎ホテルと云う宿屋に泊ります」田舎ホテルとは余が茲へ来る時に、荷物を預けて来た宿屋で、余も今夜其所に泊る積りである。
「イヤ夫は不思議です、私も其の宿屋へ行くのです、御一緒に参りましょう」
美人は宿屋まで送られるのを有難く思う様子も見えぬ、単に「爾ですか」と答えたが、併し別に拒まぬ所を見れば同意したも同じ事だ、此の時は既に夜に入り、道も充分には見えぬから、余は親切に「私の腕へお縋り成さっては如何です」美人「イイエ、夜道には慣れて居ます」食い切る様な言い方で、余は取り附く島も無い、詮方なく唯並んで無言の儘で歩いて居たが其の中にも色々と考えて見るに、松谷秀子と云うも本名か偽名か分らぬ、全体何の目的でアノ幽霊塔へ入り込んだ者であろう、真逆に時計を捲き試して相当の人へ教え度いと云う許りではあるまい、何にしても余ほど秘密の目的が有って、爾して其の身の上にも深い秘密が有るに違い無い、果して「分る時には自然に分る」だろうか、其の「分る時」が来るだろうか。
此の様に思って歩むうち、忽ち横手の道から馬車の音が聞こえて、燈光がパッと余の顔を照らすかと思ったが、夫は少しの間で其の馬車は早や余等を追い越して仕舞った、併し余は其の少しの間に馬車の中の人を見て、思わず「アレ叔父が来ましたよ」と叫んだ、確かに馬車の中に余の叔父が乗って居る、尤も馬車の中から余の顔を見たと見え馬車は十間ほど先へ行って停り、其の窓から首を出して「アレ道さん、道さん」と余を呼ぶ者が有る。
「道さん」などと馴々《なれなれ》しく而も幼名《おさなな》を以て余を呼ぶ者は外に無い、幼い時から叔父の家で余と一緒に育てられた乳母の連れ子で、お浦と云う美人で有る、世間の人は確かに美人と褒め、当人も余ほど美人の積りでは居るけれど、余の目には爾は見えぬ、併し悲しい事には此の女が余の妻と云う約束に成って居る。何で其の様な約束が出来たか知らぬが、本来其の乳母と云うのが仲々剛い女で、叔父の家を切って廻して居たが、死ぬ前に叔父を説き附け、余が学校へ這入って居る留守中に余の未来の妻と云う約束を極めた相で、尤も余の叔父は人が願えば何事でも諾《うん》、諾と答える極めて人好しゆえ此の様な約束にも同意したのであろう、余は大恩ある叔父の言葉に背く訳にも行かず又今まで外に見|初《そ》めた女も無かったから其の約束に従い、何時でも余の定める日を以て婚礼すると云う事に成って居るが、余は余り進まぬから生涯其の日を定めずに居ようかと思って居る、美人でも何でも乳母の娘では、余り感心が出来ぬ、併しお浦は既に丸部夫人と云う気位で交際社会からも持て囃されるし、通例世間一般の女房たる者が酷く所天《おっと》を圧制する通りに余を圧制しようと試みる、余の為す事には何でも口を出す、愈々婚礼でも仕た後は余ほど蒼蝿《うるさ》い事だろうと覚悟して居る、併し閑話《あだしごと》は扨置いて、余は呼ばるる儘に急いで馬車の傍へ行こうとしたが、暫し怪美人に振り向いて「丁度叔父が来ましたから何うか今夜食事の後で時計の捲き方をお教え下さい、私が叔父へ話し、貴女へ面会を願わせますから」斯う云って怪美人に分れ、馬車の許へ駆けて行くと、叔父は怪訝な顔で「怪我は何うした、怪我は何うした」と畳み掛けて問わる。余「エ、怪我とは誰の」叔父「お前のよ」余「エ、私が怪我したなどとは夫は何かの間違いでしょう、此の通り無事ですが」叔父「無事なら何より結構だが、ハテな、誰の悪戯だろう、先ず此の電信を見よ」と云って一通の電信を差し出した、馬車の燈火に照して読むと「ドウクロウ、オオケガ、スグキタレ、イナカホテルヘ」と有り「叔父さん誰かが貴方を欺いて誘き寄せたのですよ、跡方も無い事です、併し此の様な悪戯者が有っては不安心です、貴方は直ぐに宿屋へお出なさい、私は直ぐに電信局へ行き、何の様な奴が此の電信を依頼したか聞いてから帰ります」叔父「四十里を通し汽車で、二時間半で此の先の停車場へ着いたが、己は疲れたから其の言葉に]おう」お浦は余が一言も掛けぬに少し不興の様子で「おや道さん四十里も故々《わざわざ》介抱に来た私には御挨拶も無いのですか、今一緒に歩んで居た美人にでも此の様に余所々々しいのですか」と、叔父の顔を顰《しか》めるにも構わず呶《ど》鳴った、余は単に「イヤ挨拶などの場合で無い」と言い捨てて電信局を指して走ったが、何うも変だ、何だか幽霊屋敷の近辺には合点の行かぬ事が満ちて居る様だ、併し今までの事は此の後の事に比ぶれば何でも無い。
第五回 神聖な密旨
何者が何の為嘘の電報など作って余の叔父を呼び寄せたのだろう、余は電信局で篤《とく》と聞いて見たけれど分らぬ、唯十四五の穢い小僧が、頼信紙に認めたのを持って来たのだと云う、扨は発信人が自分で持って来ずに、路傍の小僧に金でも与えて頼んだ者と見える、更に其の頼信紙を見せて貰うと、鉛筆の走り書きではあるが文字は至って拙《つた》ない、露見を防ぐ為故と拙なく書いたのかも知らぬが、余の鑑定では自分の筆蹟を変えて書く程の力さえ無い人らしい、而も何だか女の筆らしい。
是だけで肝腎の誰が発したかは分らぬ故、余は此の地の田舎新聞社に行き広告を依頼した、其の文句は「何月幾日の何時頃人に頼まれて此の土地の電信局へ行き、倫敦《ろんどん》のAMへ宛てた電信を差し出した小供は当田舎新聞社へまで申し来たれ、充分の褒美を与えん」と云う意味で、爾して新聞社へは充分の手数料を払い、若し其の小供が来たら、直ぐに倫敦の余の住居へ寄越して呉れと頼んで置いた。
何も是ほどまで気に掛
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