ると云う事は、如何なる彫刻師も出来ますまい、試みに双方の顔形に就き鼻の形を御覧なさい、何所にか違った所が有りますか」
余「有りません」と答うる外はない、成るほど何う見ても違っては居ぬ、先生「ソレ御覧なさい。同じ事でしょう、歯は閉じた唇に隠れて、較べる事が出来ませんけれど若し出来たなら、是も貴方は私の言葉に服する外はないのです、サア此の様な訳ですから全く生れ替らせたとは云う者の、真に能く夏子の顔を知って居る人が、秀子の顔を見れば、真逆に同人だとも思わずとも、何等かの疑いを起すかも知れません、是のみは今までも私の気に掛けて居た所です、併し此の点をさえ見許して戴けば外の点は充分私の手際が現われて居ます、再び同じ程の美人を連れて来て此の顔を同じ程の美人に作り直して呉れと云った所で、私は再び是だけの手際を現わす事は殆ど出来まいと思って居ます、では何うして活きた人間の顔を作り直すかとお問いでしょう、仮面を被せるのか、肉を削るのか左様さマアマア仮面を被せる様な者、肉を削ったり殖《ふや》したりする様な者、其所が即ち学者も未だ研究し得ぬ此のポール・レペルの秘術です」
第七十八回 発明の実益
先生「今の学者が若し専心に、私と同様の事を研究したなら、人間の顔を作り直す事が出来るのですけれど、彼等は唯名誉を揚げるが先で、上部だけは様々の研究もしますけれど、名誉の外に立ち、世間から隠れて学術と情死する程の決心を以て必死に研究する事は致しません、だから私の専門の技術に於いて、私に及ばぬのです、ナニ私としても名誉を好む心があれば此の発明を世に知らせます、之を知らせたなら空前の発明だとか、学術上の大進歩だとか云って私の前へ拝跪《はいき》する人が沢山出来ましょう、世界中の医学新誌などは争うて私の肖像を掲げましょう、けれど私は夫は嫌いだ、嫉妬の多い学者社会に名を出して面倒の競争をするよりも、静かに我が発明の実益を収めるが好い、此の術を世間に知らさず唯独りで秘めて居れば、隠す者は現われる道理で夫から夫へ聞き伝え、貴方の様に権田時介の様に、輪田夏子の様に、密かに尋ねて来る人が一年に十五人や三十人は必ずあり通例名誉ある医者や学者の二人前位は実益を収める事が出来るでしょう」
滔々《とうとう》と述べ立てる先生の有様は、宛も気焔を吐きたくて、誰か聞いて呉れる人を待って居たとでもいう風である、余は唯我が心の中は旋風《つむじかぜ》の吹き捲《まく》る様な気持で、思いも未だ定まらねば、先生の言葉に対し批評の語を発する事を得せぬ、先生「今の学者には学閥という者がありまして、同じ学校から出た同士とか、同じ目的を持って居る同士とかいう様な工合に友達から友達へ縁を引き、陰然として一つの団体、一つの当派を作って居り、爾して盛んに毛嫌いをするのです、当派の中から出た発明は詰らぬ事でも互いに称揚して大きな事の様に言い做し、寄って集《たか》って広く売り附ける様にしますが当派の外から現われた発明は、非難に非難を加え、何うやら斯うやら信用を失わせて了います、今私の様な独学孤立の人間が、此の様な発明をしたと云って学者の間へ出て行って御覧なさい、一時は今もいう通り、世界中の新聞雑誌にまで書き立てられましょう、けれど私の名が揚がれば揚がる丈、学閥の猜《そね》みは益々加わり、第一に私を山師だといい、私の術を実用する事の出来ぬ様にして了い、夫で足らずば、次には学閥の中から、是はポール・レペルの法よりも一層完全な発明で、実はレペルより先に成就して居たのだ、レペルは窃《ひそか》に其の法を盗んだのだなどと本家を奪いに掛かるもありましょう、中には此の様な法は罪人に姿を変えさするに通ずるのみで詰り犯罪を奨励して国家社会を危くする者だと叫ぶ者も出来、夫は夫は私を滅さねば止まぬのです」
いう所に多少は大き過ぎる言葉もあるけれど、今日の学者社会に幾分か斯様な傾きのあるのは事実らしい、先生は茲まで述べてやや調子を下げ「今日の社会が、私に此の秘術を公《おおやけ》にさせたいとならば少くとも学者社会をば、最う少し真理を愛する様に作り直して来ねば了ません、今の様では縦しや専売特許などの保護法が備わって居ると云っても、私の様な発明は危険で、顔を出す事が出来ぬのです、だから私の発明が何であるか、何の様な秘術であるかという事は誰にも話す事が出来ません、唯貴方だけには、左様さ素人に分る丈の範囲に於いて話しますが、術の一半は電気です、残る一半は薬物の作用です、電気で以て人間の毛を根本から滅して了う事は、大抵の学者が出来る事だろうと思って居ます、けれど実際私程其の事を実地に研究した者はない、私の法に由ると頭の毛を悉く枯らさせて其の皮膚を顔と同様にするのは易い事です、又人の筋肉を永久に伸し又は縮めるも、爾まで困難ではありません、サア是だけ聞けば分りましょう、輪田夏子は大層眉の生えた所が長く、殆ど両の眉が真中で出合う程に成って居ました、其の眉の両端を私が短く縮めて秀子の眉にしたのです、疑わしくば篤と両方の顔形をお見較べなさい、眉に長短の別は有っても其の実は同じ眉です、次には額の生え際を御覧なさい、夏子のは真中へ垂れ下って来て居て、真に美人の相に叶って居ましたが、惜しいけれど是を私が切り捨てて左右へ多少の伸縮を施し、秀子の生え際にしたのです、秀子の生え際は唯尋常の恰好で別に美人の相という程でありませんが、茲が聊か私の不手際でしたけれど、尋常としては尚だ最上の生え際です、其の代り、イヤ生え際が聊か劣った代りに髪の色艶で立優らせてある積りです、秀子の髪の色を御覧なさい。全く昔の女神と同じ事です、夏子の重い色より幾倍も優って居ます、尤も夏子の丸顔には重い色が似合いますけれど、軽く行かねば神仙的の高尚な美しさがありません、夫ならば扨、髪の色は何うして変る、之は世間の婦人達が生涯気を揉んで研究して居る所です、仲々婦人達には分りません、けれど此のポール・レペルに取っては極く極く容易な問題です、髪の性質を変ずる丈でも近頃は毎日一人以上の貴婦人客が尋ねて来ます」
第七十九回 一点の望み
先生は語を継いで「通例髪の毛の色を直すには染料を用います、けれど染めて直すのは誰にでも出来る事、学者を以て自ら居る私の様な者が研究すれば恥になります、髪の延びるに従って幾度も染め直さねばならぬ様な方法は技術ではありません、学術的とはいわれません、私の方法は、或る薬剤の注射により、髪の根にある色素という奴を変性させるのです、根本的の手段です、一旦色素が変性すれば幾度髪の毛が生え替えても又幾等長く延びて来ても其の色は一つです、一度直せば生涯再び手を入れるに及びません、いわば先ず造化の仕事で人間業ではないと云っても好いのです、唯其の中に難易があり、薄い色素を濃くするは易しいですが、濃い色を薄くするは極めて困難な事柄です、秀子嬢の髪の毛は濃い色を薄くしたので、仲々手数が掛かりましたけれど、充分の報酬を得ましたから少しも申し分はないのです。
「次は顔の形ですが、先ず其の顔形を見較べて私の言葉の嘘か実《まこと》かを判断して戴きましょう、私は兼ねて小さい動物に試験して身体を細くする術を発明しました、是も薬剤の力です、或る薬剤を食事の度に肉類と一緒に腹へ入れるのですが、急には行きませんけれど、月日を経るに従って肥えた身体が細くなり、円い顔は楕円となります、爾して少しも健康に害を及ぼしません、夏子の丸い顔が其の手段の為に秀子の楕円の顔と為ったのです、次は口許です、夏子の口許は真に愛嬌の泉ともいうべきで、之を変ずるは惜しい者だと思いましたが、変ぜずには置かれませんから、上唇を少し緊《し》めて聊か形を変え、爾して微かに口の両脇の筋を詰めてキリリとした締まりを見せました、全体筋を詰めたり弛《ゆる》めたりする事は世間の医者には出来ませんが、是も電気作用で、私に取っては左まで六かしい事ではないのです、笑靨をなくしたり拵えたりするは皆其の働きです、筋が詰まれば平らな所へ凹《くぼ》みが出来、筋を延せば凹んだ所が平らになります、私も夏子嬢の髪の色から生え際から、眉や口許や頬の様まで変って了って最う之で済んだのだと思いましたが、何うも笑靨の位置を変えねば、猶或いは之が為に人に見破られる恐れがあると思い顎の笑靨を消して了って其の代りに頬の笑靨を作りました。之が手術の大尾でした。
「私の斯る手術で、第一号の顔形にある輪田夏子が第二号の顔形にある松谷秀子に生れ変ったのです、誰が見たとて同人と思わぬは無理もありません、けれど造化の作った夏子の美しさと私の直した秀子の美しさと何方《どちら》が優って居るでしょう、素より夏子の美しさは此の上のない階級でしたが秀子のも矢張り此の上の階級はありますまい、私は之で以て造化の美術的傑作品をポール・レペルが傷つけたという非難は逃れ得た積りです、若し強いて双方の間に優劣があるとすれば、夏子は美しさよりも愛らしさが優り、秀子は愛らしさよりも美しさが優って居るとでもいうのでしょう、一方は天真爛漫の美で、一方は研《みが》ける丈研き揚げた美という者です、是だけの違いは有っても、其の実は同じ者だという事が、能く其の顔形を見較べれば自ら合点が行きましょう、エ、丸部さん、未だお疑いですか。夏子と秀子を全く別の人だなどと、まさかに最う、些《すこ》しの疑う余地もありますまい」
勝ち誇る様な口調で、先生は長々の講釈を結んで了った、余は実に情けない、余が世界に又とない美人と思い、未来の妻ぞと今が今まで思い詰めた松谷秀子が其の実は養母殺しの罪に汚れ、監獄の中に埋まって居た輪田夏子だとは抑《そもそ》も何たる因果であろう、顔は幾等美しくとも心の醜さは分って居る、其の醜さを隠して、余を欺き余の叔父をまで誑《たぶら》かして居るかと思えば、実に譬え様のない横着な仕打ち天性人を欺くに妙を得た者に違いない、真に秀子が夏子の化けたのに相違ないであろうか。
二個の顔付きは全く違って居るとはいえ、能く見れば同じ事だ、先生の言葉に引き合わせて、見較ぶれば悲しい哉、争うに争われぬ、余は顔形を見詰めたまま目には涙、胸には得もいえぬ絶望の念が込み上げて来たが能く思うと、未だ一点の望みはある、なるほど第二号の顔形が第一号の変形には相違あるまい、けれど其の第一号が全く輪田お夏という証拠は少しもない、第二号も秀子なら、第一号も本来の秀子で、決して輪田夏子ではないかも知れぬ。
余は迫き立てる様に先生を呼び「ですが先生、第一号が輪田夏子だという証拠は何所に在ります。唯貴方の許へ其の様に名乗って来たというに過ぎぬのでしょう、偶然に名乗った姓名が殺人女と暗号したか、或いは自分の本姓本名を秘する為に殊更に世に知られた殺人女の名を用いたのか其の点は貴方に分りますまい」
第八十回 千貫の重み
第二号の顔形と第一号の顔形とは如何にも先生の謂う通り同人である、是だけは最早言い争う余地がない、けれど其の第一号が果たして殺人女輪田夏子だと云う事は何の証拠もない。
まさかに松谷秀子が其の殺人女だとは受け取れぬ、何の様な証拠が有るにもせよ、争われるだけは争い、疑われるだけは疑って見ねば成らぬ。
とは云え、今までの事を能く考え合わせて見ると先生の言葉には千貫の重みが有る、余が言葉は殆ど何の根拠とする所もない。
余は幽霊塔に入って後、幾度も塔の村の人々から輪田夏子の容貌などを聞いた事が有る、丸い顔で眉が長くて顎に笑靨が有ったなどと、全く第一号の顔形と符合して居る、しかのみならず夏子はお紺婆を殺したとき、左の手の肉を骨に達するまで噛み取られたと云う事だが、夫ほどの傷なら今以て残って居ねばならず、秀子が全く夏子なら秀子の手に其の傷が有るはずだ、実際秀子の手に其の様な傷が有るだろうか、待てよ、待てよ、秀子の左の手は毎も長い異様な手袋に隠れて居る、此の手袋の下に秘密が有るとはお浦が幾度も疑った所で、或る時は其の手袋を奪い取り、愈々秘密を見届けた様に叫んだ事も有る。
其の秘密を見られたが為に秀子がどれほど立腹したか、お浦を殺すとまで劫《おび
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