が死にでもすれば何の様な事に成り行くやら」余「叔父さんがお死に成さるなどと其の様な事が有りますものか、縦しや有っても秀子は私が保護しますから」叔父は余が秀子を保護するを好まぬか、一言も返事をせぬ。今まで余と秀子とを早く夫婦にも仕たい様に折々言葉の端に見えたとは大きな違いだ、叔父は又感じた様に「アア此の世の事は兎角思う様に行かぬ、全く悪魔の世界だよ、悪魔が人間を弄ぶのだ、己は最う何事もなり行きに任せて、遺言状も書き替えぬ、書き替えたとて又も悪魔が干渉すれば無益だからよ」
 言葉に籠る深い意味は察する事が出来ぬけれど、甚く此の世に不満足を感じて居るは確かだ。或いは余が秀子を思い始めたのを悪魔の干渉とでもいうのだろうか。秀子に身代を遣るという遺言状を書き替え度いのは見えて居るが夫を書き替えれば余の身の利害にも関係するから、夫ゆえ書き替えずに断念《あきら》めると云う意味であろうか。余は聊かながら直接に余の父から伝えられた余の財産が有るから、縦しや遺言を書き替えられても別に苦痛とは思わぬが、茲で其の旨を云うのは却って叔父の気に障るか知らんなど、取つ置いつ思案して右左《とこう》の挨拶も口には出ぬ。叔父「アア又眠くなった、医者が眠れるだけ眠れと云うから、幾分か好い兆候と見える、話は此の後に幾等もする時が有るから巴里へ行くなら早く行って来い」といい褥の上に身を横たえた。余は去るに忍びぬ心地もするが、情に駆られて居る場合でない。「叔父さん何事も御心配に及びません」との一語を残して、静かに此の室を退き、仕度もそこそこに愈々此の家を出発した。巴里に行って果たして何の様な事になるか殆ど無我夢中である。

第七十回 鏡に写る背影《うしろかげ》

 ポール・レペル先生とは何の先生であろう。余は夫さえも知らぬ。全く無我夢中ではあるけれど唯何となく其の人に逢いさえすれば秀子が助かる様に思う、尤も外に秀子を助くべき道はないから何が何でも此の人に逢って見ねばならぬ。
 此の様な決心で塔を出て、夜に入って倫敦へは着いたが、最う終列車の出た後だ、一夜を無駄に明かすも惜しい程の場合だから、何か此の土地で秀子の為になる仕事は有るまいかと思案して、思い出したは彼の弁護士権田時介の事だ。
 今まで彼の事を思い出さなんだが不思議だ。彼が秀子の秘密を知り且は一方ならず秀子の為を計って居る事は今まで能く知れた事実で、此の様な時には秀子の為に熱心に働くに違いない。のみならず余よりも工夫に富んで居る、余は巴里へ行く前に彼に相談するが然るべきだ。唯彼は秀子に対する余の競争者である、恋の敵である、此の点が少し気掛りで聊か忌まわしくも思われるけれど、今は其の競争に余が勝って居るのだから、彼を忌むよりは寧ろ大目に見るべき場合だ、殊に秀子の為なれば区々たる其の様な感情は云って居られぬ。何れほど好ましからぬ相手とでも協同一致せねばならぬ。
 夜深《よふけ》では有るけれど、叩き起して、語り明かしても好いという決心で彼の宿を尋ねた。けれど不在だ、倶楽部をも尋ねた、同じく不在だ、或いは彼余と同じく既に秀子の事に奔走して夫が為に何処かへ行ったのではあるまいかと、余は此の様な疑いを起したけれど不在の人ばかりは如何ともする事が出来ぬ、宿へも倶楽部へも、名刺の裏へ、緊急な用事のため至急に面会したいとの意を書いて残して置いた。
 此の翌日の午後には早や巴里へ着した、ラセニール街二十九番館へ尋ねて行った。街は至って静かな所で殊に二十九番館は人が住むか狐が住むか、外から見ては判じ兼ねる様な荒れ屋敷で、門の戸も殆ど人の出入りする跡が見えぬ。或いはレペル先生が茲に住んだのは数年前の事で今は何処へか引越したかも知れぬと思ったけれど、潜りから入って陰気な玄関の戸を叩いた。暫くして出て来る取り次は年の頃六十程で、衣服も余ほど年を取って居る、此の向きではレペル先生というも余り世間に交際せぬ老人らしい、其の様な人が、どうして遠く英国に居る秀子を助ける事が出来ようと、余は初めて危ぶむ念を起したけれど、今は当って見る一方だ、余は唯「先生は御在宅ですか」と問うた。取り次の言い様が面白い「ハイお客に依っては御在宅ですが」とて穴の明くほど余の相恰を見た上で「貴方は何方です」余「ポール・レペル先生の知り人から紹介を得て、遠く英国からたずねて来ました」取り次「英国ならば、別に遠くはありません、当家の先生へは濠洲其の他世界の果てから尋ねて来る客もあります」とて、先ず主人が世界に名を知られた身の上なるを匂《ほのめ》かし、次に余の差し出す名刺を威儀正しく受け取って退いたが、思ったよりも早く余は客待室へ通された。
 室の中は外の荒れ果てた様とは打って変り注意周到に造作も掃除も行届いて、爾して室の所々に様々の鏡を配列してある。何だか其の配列が幾何学的に出来て居る様に思われる、鏡から鏡へ、反射又反射して、遠く離れた場所の物影が写って見える、余り類のない仕組である、唯是だけでも主人が一通りの人でない事が分るが、又思うと余が茲にウロウロ鏡を眺めて感心して居る様が遠く主人の室に写り、今正に主人に検査せられて居るかも知れぬ。
 斯う思うと急に身構えを直したくなるも可笑しいけれど、主人の室から余の姿が見えれば此の室へも主人の姿が写るだろうと又見廻したが、天井も処々に鏡をはめて有って、爾して天井際の壁に、イヤ壁と天井との接する辺に、幅一尺ほどの隙間がクルリと四方へ廻って居る、此の隙間が、此の室と外との物の影が往き通う路であるに違いない。併し人の姿らしい者は何の鏡にも写っては居ぬ。
 余は身構えを正して許り居る訳には行かず、只管鏡に映る幾面幾色の影を、かれこれと見て廻って居たが其の中に、影の一面へ忽ち人の姿が写った、其の姿たるやだ、旅行服を着けた背の高い紳士で小脇に方一尺ほどの箱の様な物を挾み、急いで立ち去る様な有様で有るが、生憎に背姿で顔は分らぬ、けれど確かに余が目に見覚えのある人らしく思われる。
 ハテな誰だろう、此方《こっち》へ向けば好いと、気を揉んで待ったけれど、歩む許りで此方へ向かず、早や鏡から離れ相に成った。残念だと思う拍子に忽ち気が附き、自ら振り向いて見ると有難い、一方の鏡に反映して、其の人の正面が写って居る、余は実に驚いた、其の人は外でもない彼の権田時介である。

第七十一回 童顔鶴髪

 権田時介、権田時介、余は英国を立つ時にも彼を尋ねて逢い得なんだのに、今此の家から彼の立ち去るを見とむるとは実に勿怪の幸いである。暫し彼を引き留め度いと思い、室の外へ走り出て見たが、鏡に写った彼の影が、実際何処に居る者やら少しも当りが附かぬ、廊下には何の人影もない、更に庭へ降りて門の辺まで行って見たけれど早や彼の立ち去った後と見え、四辺寂寞として静かである。
 彼が何の為に此の家へ来たのか、云う迄もなく秀子の為であろう。併しどうして此のポール・レペル先生に頼る事を知ったであろう。余さえも唯非常な事情を経て漸く知り得た所であるのにイヤ是を見ても彼が余よりも深く秀子の素性を知って居るは確かである。恐らく彼は穴川甚蔵や医師大場連斎などと同じく秀子の身の上を知り盡して居るであろう、然るに余は、然るに余は――そうだ、全くの所秀子が何者であるかと云う事さえ知らぬ、幽霊塔へ現われる前、秀子は何所に何うして居た女であろう。思えば実に余の位置は空に立つ様な者である。実を云えば此のポール・レペル先生がどうして秀子を助け得るやをさえ知らぬのだ。
 併し先生に逢えば何も彼も分るであろうと独り思い直して元の室へ帰った。暫くすると前の取り次の男が再び来て、先生の手がすいたから此方へと云い、奥深く余を連れて行きとある一室の中に入れた、此の室は今まで居た室と大違い、最と風雅に作り立て、沢山古器物杯を飾り、其の中に仙人の様に坐して居る一老人は確かにポール先生であろう、童顔鶴髪と云う語を其のまま実物にしたとも云う可き様で、年は七十にも近かろうが、顔に極めて強壮な色艶が見えて居て、頭は全くの白髪で有る、余は人相を観ることは出来ぬけれど、此の先生確かに猶太人《ゆだやじん》の血と西班牙人《すぺいんじん》の血を受けて居る、決して純粋の仏国人ではない、先ず余を見て子供に対する様な笑みを浮べて「私の知人から紹介せられたと聞きましたが知人とは誰ですか」
 誰と答えて好かろうかと少し躊躇する間に熟々先生の顔を見るに、実に異様な感じがする、初めて秀子を見た時に、余り美しいから若しや仮面を被って居るのでは有るまいかと怪しんだが、今此の先生の顔を見ても矢張り其の様な気がするのだ、或いは此の人が秀子の父ででもあろうか、イヤ其の様な筈は決して無い、此の様な勢力の有る人が秀子の父なら、何で今まで、秀子が様々の苦境に立つのを見脱して居る者か、秀子は既に父母を失った身の上で有る事が様々の事柄に現われて居る。
 余は此の様に思いつつ、詮方なく「ハイ穴川甚蔵から聞きまして」と云った。先生は少しも合点の行かぬ様子で「ハテな、穴川甚蔵と、其の姓名は私の耳に、左様さ貴方の顔が私の目に新しいと同様に新しいのです」余「エエ」先生「イヤ初めて聞く姓名です」と云って、少し余を油断のならぬ人間と思う様な素振りが見えた。余は大事の場合と言葉を改めた、「ハイ其の穴川と云うは医師大場連斎氏の親友です」先生「アア大場連斎ならば分りました、久しく彼から便りを聞きませんけれど数年前は度々私の門を叩きました、彼の紹介ならば心置きなくお話し致しましょうが、イヤ好うこそお出で下さった、此の様な場合に根本から救う事の出来るのは広い世界に私より外はないのです」
 根本から救うと云う所を見れば、早や余の目的を知って居るのか知らん、余は聊か気を奪われ、少し戦《おのの》く様な語調で「実は貴方が御存じの様に聞きます松谷秀子の件も大場氏から聞きましたが」と半分云えば先生は思い出した様に「アア秀子、彼の美人ですか、イイエ彼の件は何うも私の不手際でしたよ、救い方が聊か不充分で有った為、或いは今以て多少の禍いが残りはせぬかと、時々気に掛る場合が有ります、何しろ本来が美人ですから何うも六かしい所が有りました、けれど大抵の事では大丈夫だろうと思って居ます、それにしても貴方は」と云い掛けて熱心に余の顔を眺め「貴方も実に困難なお望みですよ、殆ど秀子と同じ場合で実に惜しむ可き所が有りますから私が充分の力を施し兼ねます、併し秀子の場合で御合点でしょうが、全く根本的に救うのですから決して後悔なさる様な事はありません。秀子とても其ののち何の様な境遇に遭ったかも知れませんが兎に角私を命の親だと思って居ましょう」
 余「ハイ貴方を命の親の様に思えばこそ、遙々救うて戴きに来たのですが」
 先生「では早速条件を定めて其の上で着手致しましょう。多少の出来不出来こそあれ、万に一つも全く仕損ずると云う事は私の手腕にはないのですから」充分保証する言葉の中にも何だか腑に落ちぬ所が有る。着手するの仕損じがないのと、此の先生は直接に余の身体へ、何うか云う風に手を下す積りでは有るまいか、斯う思うと何だか余は自分の肉が縮み込む様な気持に禁《た》えぬ。

第七十二回 又と此の世に

 何うも先生の言葉に、余の腑に落ちぬ所がある。余は秀子を助けて貰う積りで来て、若しや飛んでもない事に成りはせぬかと気遣わしい心が起きた。併し余よりも先に権田時介が来た所を見れば此の先生が秀子を助け得る事は確からしくも思われる、全体権田は何の様に此の先生へ頼み込んだであろう。それさえ聞けば大いに余の参考にも成るのにと、此の様に思ううち先生は独語の様に「妙な事も有る者です、松谷秀子の名前は、久しく思い出さずに居たのですが今日は久し振りで、二人の紳士から別々に其の名を聞きますよ」余は隙《すか》さず「二人の紳士とは、一人は私で今一人は只今此の家を立ち去った権田時介でしょう、彼は私の知人ですが、秀子の事に就いて何を先生へ願いましたか」先生は急に面持を厳かにし「イヤそれはお返事が出来ません、頼って来る人の秘密を守らねば此のポール・レペルの天職は行われ
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