らぬ場合に迫って居た、お浦に何事かの秘密を看破せられ、殺す外には口留めの工夫がなく、殺すと云って恐迫《おどし》て居た、真に殺し兼ねざる決心の様も現われて居た、爾してお浦と攫み合いの喧嘩を始め、お浦を床の上へ投げ倒した、其の後は何うしたか知らぬけれど其の時限りお浦の姿が見えなくなって今日初めて堀底から現われたのだ。
是だけで考えて見ると何うも秀子の仕業と見認《みと》めぬ訳に行かぬ、けれど少し合点の行き難いは、何うして何時の間にお浦を殺し何時の間にアノ室で其の死骸を隠し、何時の間に死骸の首を刎《はね》て爾して何時の間に堀の底へ沈めただろう、勿論余は秀子の一挙一動を監視して居る訳ではなく其の後一週間も寝て居たのだから其の間に秀子が何の様なことをしたかも知れぬ、或いはお浦を投げ倒したとき、実は床板をでも外して有って、余の耳に投げ倒した様に聞こえたのは其の実床の下へ投げ込んで置いたので夜に入って床下から引き出し卓子掛けに包んで堀へ持って行ったのかも知れぬ。
けれど余は秀子が其の様な事をする女とは思わぬ、イヤ少くとも此の時は未だ思わなんだ、アノ美しい顔で、若しも此の様な事をするとせば、人間第一の看板とも云う可き顔の美しさは何の値打ちもなくなって了う、尤も今までとても顔の美しさに似ぬ心の恐ろしい女は有りはするけれど、顔は七部通りまで愛情の標準にもなる、大抵の愛は顔を見交したり又は顔に現われる喜怒哀楽を察し合ったりする所から起こる者だ、若し秀子の様な美しい顔が美しい心の目録でないとすれば、全く人間の愛情や尊敬などの標準は七部まで破壊されて了うではないか。
と云った所で、秀子の外にお浦を殺す者が有ろうとは猶更思われぬ、秀子でなくば誰だろう、自殺だろうか、お浦が自分で自分の首を切り、其の首を何所かへ隠し、爾して自分の腰へ石を結び、身体へ卓子掛けを捲き附け、堀へ行って飛び込んだ、イヤ首のない身体で是ほどの働きは出来ぬ、然らば誰が殺した、と云って誰と目指す可き者は一人もない。
余は此の様に色々と翌朝まで思い廻して、漸くに只一つ思い附いたは、お浦の首は何うなっただろうとの疑いだ、又思うと何故に首のない者に仕て了っただろう、全体探偵が此の様な所を怪しまぬは不行き届きだと、斯う思ったから翌朝第一に探偵を尋ねた、けれど何所に居るか分らぬから、廊下をそちこちと歩んで居ると探偵は彼の虎井夫人の室から出て来た、オヤオヤと思い其の傍に行って「貴方は何で虎井夫人の室に居ました」探偵「秀子さんの素性を詳しく聞きたいと思いまして」余「シタが夫人は病気ゆえ好く答える事は出来なんだでしょう」探偵「イエ病気は昨日熱が引いてから大いに好くなったと云い差し支えなく問答が出来ました、アノ様子では今明に起きるでしょう、心配で最う寝て居られぬなどと云って居ました」余「爾して秀子の素性を詳しく聞きましたか」探偵「イイエ彼の夫人は唯附添人として雇われた丈で詳しくは知らぬと云いました」扨は彼の夫人、自分が秀子の乳婆であった事を推し隠し、昨今の知り合いの様に云ったと見える、余「貴方は余ほど秀子を疑うと見えますネ」探偵「イエ探偵と云う者は人を疑っては間違います、私は誰をも疑わず唯公平に証拠を詮索するばかりですが、併し秀子さんは今の所確かに誰からも疑われる地位に立って居ます、浦子さんと劇《はげ》しく喧嘩した事実なども多勢に知られて居ますから」余「ですが森さん、お浦の死骸に首のないのは何う云う訳でしょう」
何故か此の問いに森探偵は殆ど急所でも衝かれたと云う様にビクリとして、能く喋る其の口を噤んで了った、余「首は何うしたのでしょう」探偵は漸くに「其所が此の事件の眼目ですよ、特に其の点へお気が附いたとすれば貴方は余ほど着眼がお上手です」褒められても何の為に是が此の事件の眼目か余には分らぬ、余があたふたとする様を見て探偵は、扨は何の故もなくただ首のないのを怪しんだ丈かと見て取った様子で、少し軽侮の口調と為り「多分は殺した丈で未だ恨み癒えず、復讐の積りで殊更に首まで切ったのでしょう、首と胴と別々に埋めれば魂が浮ばれぬなどと能く世間で云うでは有りませんか。此の様な事をするのは女に限って居ますよ、嫉妬などの為に此の顔の美しいのが恨めしいなどと云って殺した上で顔を寸断寸断《ずたずた》に切るなどの例が幾等もありますよ」誠らしくは云うけれど、森が死骸に首のなきを此の事件の眼目とするは決して斯様な浅薄な理由の為でないのは明白だ、余は其の真の理由を知りたい者と、我が智恵袋を絞る様に考え廻しても到底思い到る事が出来ぬ、余「首は何所に在るのでしょう、エ、何所へ隠してあるのでしょう」探偵「サア、其所です、私が倫敦で詮索せねば分らぬと云うのは其所の事です」と之は真の熱心を以て言い切った、余は益々分らぬけれど、そう諄くは聞く事も出来ぬから、其のまま無言《だま》って了ったが、其のうちに愈々検屍の時刻とはなった。
第四十回 三十ぐらい
愈々お浦の死骸検査は始まった、余は読者に対し茲で死骸検査の事柄を簡単に説明して置きたい。
死骸検査とは一種の裁判の様な者だ、検査官の外に警察医の立ち会うは勿論の事、十二名の陪審員がある、此の陪審員が種々の事を判断するので、決して死骸を検査するのみではない、第一に此の死骸は誰の死骸か、第二に自分で死んだのか他人に殺されたのか、第三に殺されたとすれば謀殺か、故殺か、第四に之を殺した下手人は何者か、第五に其の殺した者の目的は何であるか、第六に其の者を本統の裁判に持ち出す可きや否やと、凡そ第六条を詮議するのだ、だから通例の死骸検査で以て嫌疑者が定まり、裁判に移す値打ちの有るかないかも定まる、若しも陪審員の疑いが松谷秀子に掛かっては大変だ、秀子は到底、裁判所へ引き出されずには済まぬ、余は何うか秀子を助けて遣り度い、自分が証人として此の検査官の前で審問せられるを幸いに、何うか秀子の利益になる事を申し立て、陪審員をして此の死骸に就いては一人も嫌疑者を見出す事が出来ぬと云う判決を下させ度い、所が悲しい事には秀子の利益に成る様な事柄は一個もない、余が知って居るだけの事を述べ立てたら秀子は決して助かりッこがない、イイエ此の女は悪事などする様な者では有りませんと余の信ずる所を述べたとて何の益にも立たぬ。
家の人誰も彼も、殆ど残らずと云っても好いほどに秀子を疑って居るのだから何うも陪審員なども秀子を疑うであろう、殊に高輪田長三などは秀子を捕縛せしむるまでは休《や》まぬであろう。
余は此の様に思って、只管検屍を恐れたが、恐れても其の甲斐はない、定めの時刻に少しも違わずに検屍は始まった、場所は彼の玉突き場の隣に在る広間である、お浦の死骸も其所に在るのだ。
証人として第一に呼び出されたのが余の叔父だ、叔父は堀の底を探っては何うだと言い出した発頭人である為、何故に堀の底へ目を附けたかとの廉《かど》を問われるのだ、次が高輪田、次が根西夫人、次が秀子、最後が余と云う順序である、余は是等の人々が検査官の問いに対し、何の様に答えたか勿論知る事は出来ぬけれど、後で聞いた所に由れば、叔父は「此の死骸を誰と見るや」との問いに「先の養女お浦と認める」と答え高輪田は「首のない屍骸ゆえ誰とも認める事は出来ません」と少し理窟っぽく答え、「然らば此の死骸に附いて居る衣服其の他の品物に見覚えはないか」と問われ、「品物は悉く見覚えが有ります」とてお浦が失踪の当日身に着けて居た品だと答えたので、極めて明瞭な答えだと褒められた相だ、根西夫人も、秀子も、余の叔父と同様に、死骸は勿論お浦の死骸だと云い、品物にも覚えがあるとて有りの儘を答えたが、検査官は殊に秀子には目を附けて、猶彼の異様な手袋の事を問うた、秀子は少しも隠さずに、其の手袋は自分の物で、お浦が失踪の当日自分の手から取ったのだと云い、お浦が此の家の書斎で消滅する様に居なくなった次第も云い、猶問われて自分とお浦と喧嘩した事も云った、唯、喧嘩の原因だけは、何と問われても云わず、単に「お認めに任せます」と云うたので、検査官は多分嫉妬の為だろうと云い、全く秀子を嫌疑者とするに足ると思い詰め、陪審員なども、殆ど最早此の上を詮索するに及ばぬとまで細語《ささや》いたと云う事だ。
秀子が退くと引き違えて余は呼び入れられたが、何と言い立てる思案もないから胸は波の様に起伏した、検査の室を指して行く間も、屠所に入る羊の想いも斯くやと自分で疑った、室の入口へ行くと中から森探偵と警察医とが何か細語つつ出て来るのに逢った、摺れ違い様、余は警察医の言葉の中に「三十位」と云う語の有ったのを一寸と小耳に挾んだ、「三十位」とは何の事だろう、此の一語が何の役に立とうとも思わなんだが、後になって見ると大変な事柄の元と為った、頓て検査官の前に立ち、式の通りに聖書を嘗めて「嘘は言いませぬ」との誓いを立てたが、検査官は第一に此の死骸を誰と思うとの事を聞いた、余も前の幾証人の通り「浦原浦子と思います」と答えようとしたが、此の時忽ち「三十位」の一語を思い出し、少し躊躇して、「能く見た上でなければ誰とも答える事が出来ません」と少し捻くった答をした、幾等熟く見たとて何の甲斐もないには極って居るけれど「お浦の死骸だ」と答えるのは殆ど「秀子が殺しました」と答えると同じ様に検査官や陪審員に聞こえはせぬかと思い如何にも心苦しい、一寸でも其の答えを伸したい、検査官は尤と云う風で「では篤と見るが好い」と云われた、余「何れほど検めても差し支えは有りませんか」と問い「ない」との返事を得た上で余はお浦の死骸を、手から足から、充分に調べたが、読者よ、余は実に此の暗澹たる事件をして更に一入不思議ならしむる最も異様な事を発見した、読者は是からして余が検査官に答える言葉を真実心の底から発する者とは思い得ぬかも知れぬ、けれど全くの真実で有る、余は思うままを知るままを答えるのである、余が再び検査官に向って、第一に答えた言葉は「此の死骸は誰のであるか少しも認めが附きません」と云うに在った、検査官は疑いを帯びた様子で「是までの証人等は其の方の前の許婚浦原浦子の死骸だと認めて居るが其の方は爾は思わぬか」余「爾う認めた証人等の認め違いです、私は断言します、此の死骸は決して浦原浦子の死骸では有りません」
第四十一回 自らさえ嘘の様に
此の死骸がお浦の死骸でないと云う事は、余自らさえ嘘の様に思う、お浦の着物を着、お浦の指環をはめ、此の家の一品たる卓子掛けに包まれて居て、爾してお浦でないなどは、理に於いて有られもなく思われる、けれどもお浦でない、余は確かにお浦でない証拠を見出した。
勿論検査官は驚いた、陪審員も驚いた、満場誰一人驚かぬ者はないと云っても好い程だ、検査官は暫く考えた末、余に向い「何故にお浦でないと認めるか」と問うた、余は明細に説明した。昔余が十二三の頃、叔父が余とお浦とを連れてシセックと云う土地へ避暑に行った事がある、其の時お浦は余と共に土地の谷川へ這入って居て(勿論跣足で)足の裏へ甚い怪我をした事がある。其の頃は其の谷川の上手の山から石を切り出して居たので、切石の屑片《かけら》が川の底に転って居てお浦は運悪く其の角を踏んで辷ったのだ、何でも足の裏を一寸ほども切った、其の傷が生長してまで残って居たのみか、足が育つと共に創の痕も育ち、殆ど二寸程の痕になって居るとは、今より余り遠くもない以前に余とお浦と幼い頃の昔話をして居てお浦が余に話した所である、然るに此の死骸の足の裏には毛ほどの創の痕もないのだ。
是よりも猶確かな証拠は、お浦が十六七の時で有った、余は自分の懇意な水夫に繍身《ほりもの》の術を習い自分の腕へ錨の図を繍って入墨した、お浦は羨ましがり自分の腕へも繍って呉れと云うから、余は其の望みに従い、お浦の手の腋に隠れる辺へ草花を繍って遣った、尤も之は唯外囲いの線を繍った丈で、後で痛くて耐えられぬと云うから彩色せずに止したけれど其の線へは墨だけ入れて置いた、最も去年の夏と思う、お浦が夕衣《いぶにんぐどれす》を着けて居るとき余は其の草花の外囲いが歴
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