爾して廊下へ出、窓を開くと最う夜が明け掛けて居る、何者の血で有るか、真にお紺婆の幽霊が出たのか、篤《とく》と調べては見たいけれど、神経の静かならぬ此の様な時に調べたとて我と我が心に欺かれる計りだから少し早過ぎるけれど外へ出て、充分に運動して其の上の事よと思い、余り音のせぬ様に階下へ降り、庭に出て、夫から堀の辺まで散歩した、堀の岸には舟小屋が有って、未だ誰も乗った事のない、新しい小舟が有る、之を卸して進水式を遣らかすも妙だろうと、独りで曳《えい》やッと引き卸し、朝風の冷々するにも構わず楫《かい》を両手に取って堀の中を漕ぎ廻した、其のうち凡そ一時間の余も経ったであろうか、身体は汗肌と為って気も爽やかに、幽霊の事も忘れる程に成った、最う好かろうと舟を繋いで土堤へ上って見ると、目に附くは例の殺人女夏子の墓だ、墓の前に又詣で居る人が有る。
 誰ぞと怪しむ迄もなく其の姿の優《しなや》かなのと着物の日影色とで分って居る、無論秀子だ、何の為に秀子が此の墓へ参るかは兼ねて不思議の一つだが、而も未だ誰も起きぬ中に参るとは成る可く此の参詣を人に知らさぬ為で有ろう、爾すれば余も知らぬ顔で居るが好いと其のまま立
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