云う大罪を犯したもの、多分は何所かへ逃たゞろう、好《よし》や居るにしても居るとは言《いわ》ぬよ、事に由れば余温《ほとぼり》の冷《さめ》るまで当分|博賭《ばくち》も止《やめ》るかも知れぬ何うして其様な未熟な事で了《いけ》る者か、差当り其家へは行かずに外《ほか》の所で探偵するのが探偵のいろはだよ、外の所で愈々突留めた上は、此方の者だ、先が逃《にげ》ようとも隠れようとも其ンな事は平気だ、隠れたら公然と御用で以て蹈込む事も出来る、支那人なら一旦隠れた日にゃ日本の刑事巡査が何ともする事は出来ぬけれどお紺は日本の女だから(大)併し君、外《ほか》で聞《きく》とは何所で聞くのだ(谷)夫を知らない様で此事件の探偵が出来る者か夫は最《も》う君の常に謂う臨機応変だから己の様に何所を推せば何《どん》な音が出ると云う事をチャーンと知た者で無くては了《いけ》ない是ばかりは教え度《たい》にも教え様が無いから誠に困るテ」斯く云う折しも先ほど閉置《しめお》きたる入口の戸を開き「谷間田、何うした略《ほ》ぼ見当が附《つい》たかえ」とて入来るは此事件を監督する荻沢《おぎさわ》警部なり谷間田は悪事でも見附られしが如く忽ち椅子より飛退《とびの》きて「ヘイヘイ凡そ見当は附きました是から直《すぐ》に探りを初めましてナニ二三日の中には必ず下手人を捕えます」と長官を見上たる谷間田の笑顔、成るほど此時は愛嬌顔なりき―上向けば毎《いつ》でも、
谷間田は直《すぐ》帽子を取り羽織を着てさも/\拙者は時間を無駄には捨《すて》ぬと云う見栄で、長官より先に出去《いでさり》たり、後に長官荻沢は彼《か》の取残されし大鞆に向い「何《ど》うだ貴公も何か見込を附けたか、今朝死骸を検《あらた》めて頭の血を洗ったり手の握具合《にぎりぐあい》に目を留めたりする注意は仲々|素徒《しろうと》とは見えんだッたが」大鞆は頭に手を置き「イヤ何うも実地に当ると、思ッた様に行きませんワ、何うしても谷間田は経験が詰んで居るだけ違います今其意見の大略《あらまし》を聞てほと/\感心しました(荻)夫《そり》ゃなア何うしても永年此道で苦労して居るから一寸《ちょっ》と感心させる様な事を言うテけれども夫に感心しては了《いけ》ん、他人の云う事に感心してはツイ雷同と云う事に成て自分の意見を能《よ》う立《たて》ん、間違《まちがっ》ても好《よい》から自分は自分だけの見込を附け見込通り探偵するサ外の事と違い探偵ほど間違いの多い者は無いから何うかすると老練な谷間田の様な者の見込に存外間違いが有て貴公の様な初心の意見が当る事も有る貴公は貴公だけに遣《やっ》て見たまえ(大)ヘイ私《わた》しも是から遣て見ます(荻)遣るべし/\」と励す如き言葉を残して荻沢は立去れり、大鞆は独り手を組で「旨い長官は長官だけに、一寸《ちょい》と励まして呉れたぞ、けどが貴公の様な初心とは少し癪に障るナ、初心でも谷間田の様な無学には未だ負けんぞ、ナニ感心する者か、併し長官さえ彼《あ》れ程に賞《ほめ》る位だから谷間田は上手は上手だ自惚《うぬぼれ》るも無理は無い、けどが己は己だけの見込が有るワ、見込が有るに依て実は彼奴《きゃつ》の意見の底を探りたいと下から出て煽起《おだて》れば図《ず》に乗てペラ/\と多舌《しゃべ》りやがる、ヘン人《ひと》、彼奴が経験経験と経験で以て探偵すれば此方は理学的と論理的で探偵するワ、探偵が道楽で退校された己様だ無学の老耄《おいぼれ》に負て堪る者か、彼奴め頭の傷を説明する事が出来んで頭挿《かんざし》で突たなどと苦《くるし》がりやがるぞ此方は一目見た時からチャアンと見抜てある所持品の無い訳も分って居るは、彼奴が博奕場と目を附たのも旨い事は旨いけどがナニ、博奕場の喧嘩に女が居る者か、成る程ソリャ数年前に縮れッ毛の女が居たかも知れぬ、けどが女が人殺の直接のエジェンシー(働き人《て》)と云う事は無い、と云って己も是だけは少し明解し兼《かね》るけれどナニ失望するには及ばぬ、先ず彼奴《きゃつ》の帰るまで宿へ帰ってアノ髪の毛を理学的に試験するだ、夕方に成って又|茲《こゝ》へ来りゃ彼奴必ず帰って居るから其所で又少し煽起《おだて》て遣れば、爾《そう》だ僕は汗水に成て築地を聞合せたけどが博奕宿の有る所さえ分らなんだと斯う云えば彼奴必ず又図に乗て、手柄顔に自分の探偵した事も悉皆《すっか》り多舌《しゃべっ》て仕舞うテ無学な奴は煽起《おだて》が利くから有難いナア、好い年を仕て居る癖に」
独言《ひとりごち》つゝ大鞆は此署を立去りしが定めし宿所にや帰《かえり》けん扨も此日の将《まさ》に暮んとする頃|彼《か》の谷間田は手拭にて太き首の汗を拭きながら帰り来り直《すぐ》に以前の詰所に入り「オヤ大鞆は、フム彼奴何か思い附《つい》て何所かへ行たと見えるな」云いつゝ先ず手帳紙入など握《つか》み出して卓子《ていぶる》に置き其上へ羽織を脱ぎ其又上へ帽子を伏せ両肌脱ぎて突々《ずか/\》と薪水室《まかないべや》に歩み入りつ手桶の水を手拭に受け絞り切ッて胸の当りを拭きながら斜に小使を見て例の茶かし顔「お前《めえ》アノ大鞆が何時出て行たか知ないか(小)何でもお前《めや》様が出為《でさしっ》てから半時も経たんべい、独りブックリ/\言《こき》ながら出て行ッたアだ(谷)フーム何所へ行たか、目当も無い癖に(小)何だかお前様の事を言ッたアだぜ、私《わし》が廊下を掃《はい》て居ると控所の内で谷間田は好年《いゝとし》イして煽起《おだて》エ利くッて、彼奴|浮々《うか/\》と悉皆《すっか》り多舌《しゃべっ》て仕舞たと言《こ》きやがッて、エお前様|煽起《おだて》が利きますか谷間田は眼を円くし「エ彼奴が己の事を煽起が利くッて失敬な奴だ好々《よし/\》是から見ろ何も教えて遣《やら》ぬから好いワ、生意気な」と打呟《つぶや》きつゝ早々拭終り又も詰所に帰りて帽子は鴨居に掛け羽織は着、手帳紙入は懐中に入れ又「フ失敬な―フ小癪な―フ生意気な」と続け乍ら長官荻沢警部の控所に行《ゆき》たり長官に向い谷間田は(無論愛嬌顔で)先ほど大鞆に語りし如く傷の様々なる所より博奕場の事を告げ頓《やが》て縮れたる髪筋を出して差当りお紺と云える素性《すじょう》不明の者こそ手掛りなれと説き終りて更に又手帳を出し「斯う見込を附たから打附《ぶっつ》けに先ず築地の吉《きち》の所へ行きました、吉に探らせて見るとお紺は昨年の春あたり築地を越して何所へか行き今でも何うかすると築地へ来ると云う噂サも有るが多分浅草辺だろうとも云い又牛込だとも云うのです実に雲を握《つか》む様な話しさ、でも先《まず》差当《さしあた》り牛込と浅草とを目差して先ず牛込へ行き夫々《それ/″\》探りを入て置て直《すぐ》又《また》車で浅草へ引返しました、何うも汗水垢《あせみずく》に成て働きましたぜ、車代ばかり一円五十銭から使いました夫是《それこれ》の費用がザッと三円サ、でも先《ま》アヤッとの事に浅草で見当が附《つき》ました(警部は腹の中でフム牛込だけはお負《まけ》だナ、手当を余計せしめようと思ッて)実は斯うなんですお紺の年頃から人相を私の覚えて居るだけの事を云て自分でも聞き又|兼《かね》て頼み附《つけ》の者にも捜らせた所、何だか馬道の氷屋に髪の毛の縮れた雇女が居たと云う者が有るんです今度は直《すぐ》自分で馳附《かけつけ》ました、馳附て馬道の氷屋を片ッぱしから尋ねました所が居無い又帰って能く聞くと―(荻)爾《そう》長たらしくては困るズッと端折《はしょっ》て/\、全体お紺が居たか居ぬか夫《それ》を先に云わんけりゃ(谷)居ました居ましたけれど昨夜三十四五の男が呼《よび》に来て夫《それ》に連られ直帰るとて出たッ切り今以て帰らず今朝から探して居るけれど行衛も知れぬと申ます、エ怪いじゃ有りませんか的切《てっき》り爾ですぜ三十四五の男と云うのがアノ死骸ですぜ、夫も詳しくは覚えぬと云いますけれど何《どう》だか顔が面長くて別に是と云う癖も無く一寸《ちょっ》と見覚えの出来にくい恰好だッたと申ます、左の頬に黒痣《あざ》はと聞きましたら夫は確かに覚えぬが何でも大名縞の単物《ひとえもの》の上へ羽織を着て居たと云う事です、コレは最《も》う氷屋《こおりや》の主人も雇人も云う事ですから確かです(荻)併し浅草の者が築地まで―(谷)夫も訳が有ますよお紺は氷屋などの渡り者です是までも折々築地に母とかの有る様な話をした事も有り、又店の急《いそが》しい最中に店を空《あけ》た事も有ます相で(荻)夫では最《も》う何《ど》うしてもお紺を召捕らねば(谷)爾ですとも爾だから帰ったのです何でも未だ此府下に隠れて居ると思いますから貴方に願って各警察へ夫々《それ/″\》人相なども廻し其外の手配も仕て戴き度いので、私《わた》しは是より直《すぐ》に又其浅草の氷屋で何う云う通伝《つて》を以てお紺を雇入たか、誰が受人だか夫を探し又愈々築地に居る母とか何とか云う者が有るなら夫《それ》も探し又、先の博奕宿が未だ有るか無いか若し有るなら昨夜|何《ど》の様な者が集ッたか、其所《そのところ》へお紺が来たか来ないか、と夫から夫へ段々と探し詰ればナニお紺が何所に隠れて居ようと直に突留めますお紺さえ手に入れば殺した者は誰、殺された者は誰、其訳は是々と直《すぐ》に分ッて仕舞います」何の手掛も無き事を僅か一日に足らぬ間に早や斯くまでも調べ上《あげ》しは流石老功の探偵と云う可し、荻沢への説明終りて又も警察署を出て行く、其門前にて「イヨ谷間田君、手掛りが有《あっ》たら聞《きか》せて呉れ」と呼留《よびとめ》たるは彼の大鞆なり大鞆は先刻宿に帰りてより所謂《いわゆる》理学的論理的に如何なる事を調《しらべ》しや知らねど今又谷間田に煽起《おだて》を利《きか》せて彼れが探り得たる所を探り得んと茲に来りし者なる可《べ》し去れど谷間田は小使いより聞得し事ありて再び大鞆に胸中の秘密を語らじと思える者なれば一寸《ちょっ》と大鞆の顔を見向き「今に見ろ」と云いし儘《まゝ》、後は口の中にて「フ失敬な―フ小癪な―フ生意気な」と呟《つぶや》きながら彼の石の橋を蹈抜《ふみぬ》く決心かと思わるゝばかりに足蹈鳴して渡り去れり大鞆は其後姿を眺めて「ハテナ、彼奴《きゃつ》何を立腹したか今に見ろと言ふアノ口振《くちぶり》ではお紺とやらの居所でも突留たかなナニ構う者かお紺が罪人で無い事は分ッて居る彼奴《きゃつ》夫《それ》と知らずに、フ今に後悔する事も知らずに―夫にしても理学論理学の力は剛《えら》い者だ、タッた三本の髪の毛を宿所の二階で試験して是だけの手掛りが出来たから実に考えれば我ながら恐しいナア、恐らく此広い世界で略《ほ》ぼ実《まこと》の罪人を知《しっ》たのは己一人だろう、是まで分ッたから後は明日の昼迄には分る、面白い/\、悉皆《すっかり》罪人の姓名と番地が分るまでは先ず荻沢警部にも黙ッて居て、少しも私《わた》しには見当が附ませんと云う様な顔をして散々谷間田に誇らせて置て爾《そう》だ明日の正午十二時にはサア罪人は何町何番地の何の誰ですと明了《めいりょう》に言切ッて遣る愉快愉快併し待《まて》よ唯一通りの犯罪と思ッては少し違う、罪人が何うも意外な所に在るから愈々其名前を打明る日にゃ社会を騒がせるテ、輿論を動かすテ、条約改正の様に諸方で之が為に、演説を開く様になれば差当り己が弁士先ず大井憲太郎君と云う顔だナ―故郷へ錦、愉快/\」大鞆は独り頬笑み警察署へは入らずして其儘又も我宿へブラ/\と帰り去れり
アヽ大鞆は如何なる試験を為し如何なる事を発明せしや僅か三本の髪の毛、如何なる理学的ぞ如何なる論理的ぞ谷間田の疑えるお紺は果して全くの無関係なるや、疑団又疑団、明日の午後《ひるすぎ》には此疑団如何に氷解するや
中篇(忖度《そんたく》)
翌六日の正午、大鞆は三筋の髪の毛を恭《うや/\》しく紙に包み水引を掛けぬばかりにして警察署に出頭し先ず荻沢警部の控所に入れり、折柄警部は次の室《ま》にて食事中なりしかば其終りて出来《いできた》るを待ち突如《だしぬけ》に「長官大変です」荻沢は半拭《はんけち》にて髭の汚《よご》
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