るまい分らぬならば黙ッて聞く可しだ、私《わし》はアレを此頃流行るアノ太い鉄の頭挿《かんざし》を突込んだ者と鑑定するが何《ど》うだ」大鞆は思わずも笑わんとして辛《やっ》と食留《くいと》め「女がかえ(谷)頭挿《かんざし》だから何《ど》うせ女サ、女が自分で仕なくても曲者が、傍に落て居るとか何うとかする女の頭挿を取て突《つい》たのだ孰《いず》れにしても殺す傍《そば》には女びれが居たは之で分る(大)でも頭挿の脚は二ツだから穴が二ツ開《あ》く筈だろう(谷)馬鹿を言い給え、二寸も突込《つきこも》うと云うには非常の力を入れて握るから二ツの脚が一ツに成《な》るのサ(大)一ツに成《なっ》ても穴は横に扁《ひら》たく開く筈だ、アノ穴は少しも扁たく無い満丸《まんまる》だよシテ見れば頭挿で無い外の者だ」谷間田は又茶かす如く笑いて「爾《そう》気が附くは仲々感心|是《これ》だけは実の所ろ一寸《ちょっ》と君の智恵を試して見たのだ」大鞆は心の底にて「ナニ生意気な、人を試すなどと其手に乗る者か」と嘲り畢《おわ》ッて「夫《そん》なら本統《ほんとう》の所ろアレは何の傷だ(谷)夫は未だ僕にも少し見込が附かぬが先《まあ》静かに聞く可し、兎に角斯う種々様々の傷の有る所を見れば、好《よい》かえ能《よ》く聞《きゝ》たまえ、一人で殺した者では無い大勢で寄て襲《たか》ッて殺した者だ(大)成る程―(谷)シテ見れば先ず曲者は幾人《いくたり》も有るのだが、併し寄て襲ッて殺すには何うしても往来では出来ぬ事だ(大)夫《そり》ゃ何《ど》う云う訳で(谷)何う云う訳ッて君、聞たまえよ(大)又聞たまえか(谷)イヤ先《まあ》聞たまえ、往来なら逃廻るから夫を追掛ける中には人殺し人殺しと必ず声を立《たて》る其中《そのうち》には近所で目を醒すとか巡査が聞附るとかするに極って居る(大)夫では野原か(谷)サア野原と云う考えも起る併し差当り野原と云えば日比野《ひゞや》か海軍原だ、日比谷から死骸をアノ河岸まで担いで来る筈は無し、又海軍原でも無い、と云う者は海軍原へは矢鱈《やたら》に這入《はいら》れもせず、又隅から隅まで探しても殺した様な跡は無し夫に一町ばかり離れた或家の塀に血の附て居る所を見ても海軍原で殺して築地三丁目の河岸へ捨るに一町も外《ほか》へ舁《かつい》で行く筈も無《なし》(大)夫では家の内で殺したのか(谷)先《まあ》聞たまえと云うのに、爾《そう》サ家の内とも、家の内で殺したのだ、(大)家の中でも矢張り騒しいから近所で目を醒すだろう(谷)ソオレ爾《そう》思うだろう素徒《しろうと》は兎角|爾《そう》云う所へ目を附けるから仕方が無い成るほど家の中でも大勢で人一人殺すには騒ぎ廻るに違い無い、従ッて又隣近所で目を醒すに違い無い、其所だテ隣近所で目を醒してもアヽ又例の喧嘩かと別に気にも留《とめ》ずに居る様な所が何所にか有るだろう(大)夫では屡々《しば/\》大喧嘩の有る家かネ(谷)爾サ、屡々大勢の人も集り又屡々大喧嘩も有ると云う家が有る其様《そのよう》な家で殺されたから隣近所の人も目を醒したけれど平気で居たのだ別に咎めもせずに捨て置《おい》て又眠ッて仕舞ッたのだ(大)併し其様な大勢集ッて喧嘩を再々する家が何所に在る(谷)是ほどいッても未だ分らぬから素徒《しろうと》は夫で困る先《まあ》少し考えて見たまえな(大)考えても僕には分らんよ(谷)刑事巡査とも云われる者が是位いの事が分《わか》らんでは仕方が無いよ、賭場《どば》だアネ(大)エ、ドバ[#「ドバ」に傍線]、ドバ[#「ドバ」に傍線]なら知て居る仏英の間の海峡(谷)困るなア冗談じゃ無いぜ賭場とは賭博場《ばくちば》だアネ(大)成るほど賭場は博奕場《ばくちば》か夫なら博奕場の喧嘩だネ(谷)爾サ博奕場の喧嘩で殺されたのよ博奕場だから誰も財布の外は何も持《もっ》て行ぬがサア喧嘩と云えば直《すぐ》に自分の前に在る金を懐中《ふところ》へ掻込んで立ち其上で相手に成るのが博奕など打つ奴の常だ其所には仲々抜目は無いワ、アノ死骸の当人も矢張り夫《それ》だぜ詳しい所までは分らぬけれど何でも傍に喧嘩が有《あっ》たので手早く側中《かわじゅう》の有金を引浚ッて立《たと》うとすると居合せた者共が銘々に其一人に飛掛り初の喧嘩は扨置《さておい》て己の金を何うしやがると云う様な具合に手ン手《で》ンに奪い返す所から一人と大勢との入乱れと為り踏れるやら打《うた》れるやら何時《いつ》の間にか死《しん》で仕舞ッたんだ、夫だから持物や懐中物は一個《ひとつ》も無いのだ、エ何うだ恐れ入《いっ》たか」大鞆は暫し黙考《かんが》えて「成る程旨く考えたよ、けどが是は未だ帰納法《きのうほう》で云う「ハイポセシス」だ仮定説だ事実とは云われぬテ之から未だ「ヴェリフィケーション」(証拠試験)を仕て見ん事にや(谷)サ夫が生意気だと云うのだ自分で分らぬ癖に人の云う事に批《ひ》を打《うち》たがる(大)けどが君、君が根拠とするのは唯《たゞ》様々の傷が有《ある》と云うだけの事で傷からして大勢と云う事を考え大勢からして博奕場と云う事を考えた丈じゃ無いか詰り証拠と云うのは様々の傷だけだ外に何も無い、第一此開明世界に果して其様な博奕場が有る筈も無し―(谷)イヤ有るから云うのだ築地へ行ッて見ろ支那人が七八《チーパー》も遣るし博奕宿もあるし宿ッてもナニ支那人が自分では遣らぬ皆日本の博徒に宿を借して自分は知らぬ顔で場銭《ばせん》を取るのだ場銭を、だから最《も》うスッカリ日本の賽転《さいころ》で狐だの長半などを遣《やっ》て居るワ(大)けどが博奕打にしては衣服《みなり》が変だよ博多の帯に羽織などは―(谷)ナアニ支那人の博奕宿へ入込む連中には黒い高帽を冠ッた人も有るし様々だ、夫に又アノ死骸を詳しく見るに手の皮足の皮などの柔な所は荒仕事をした事の有る人間でも無し、かと云《いっ》て生真面目《きまじめ》の町人でも無い何うしても博奕など打つ様な惰《なま》け者だ」大鞆は真実感心せしか或は浮立《うきたゝ》せて猶お其奥を聞《きか》んとの巧計《たくみ》なるか急に打開けし言葉の調子と為り「イヤ何うも感心した、何にも手掛りの無いのを是まで見破ぶるとは、成る程築地には支那人が日本の法権の及ばぬを奇貨として其様な失敬な事を仕て居るかナア、実に卓眼には恐れ入《いっ》た」谷間田は笑壷《えつぼ》に入り「フム恐れ入たか、爾《そう》折《おれ》て出れば未だ聞《きか》せて遣《や》る事が有る実はナ」と云いながら又も声を低くし「現場に立会た予審判事を初め刑部《けいぶ》に至るまで丸ッきり手掛が無い様に思って居るけれど未だ目が利《きか》ぬと云う者だ己は一ツ非常な証拠者《しょうこもの》を見出して人|知《しれ》ず取て置《おい》た(大)エ、何か証拠品が落て居たのか夫は実に驚いたナ(谷)ナニ斯う抜目なく立廻らねば駄目だよ夫も君達の目で見ては何の証拠にも成らぬが苦労人の活《いき》た目で見れば夫が非常な証拠に成る(大)エ其品は何だ、見せたまえ、エ君|賽転《さいころ》の類でも有るか(谷)馬鹿を云うな賽転などなら誰が見ても証拠品と思うワな己の目附《めっけ》たのは未だズット小さい者《もの》だ細い者だ」大鞆は益々|詰寄《つめよ》り「エ何だ何《ど》れ程細い者だ(谷)聞《きか》せるのじゃ無いけれど君だから打明けるが実は髪の毛だ、夫も唯一本アノ握ッた手に附て居たから誰も知らぬ先に己がコッソリ取ッて置た」大鞆は心の中にて私《ひそか》に笑を催おし、「ナニ其髪の毛なら手前より己様《おれさま》の方が先に見附たのだ実は四本握って居たのをソッと三本だけ取て置た、夫を知らずに残りの一本を取て好い気に成て居やがる老耄《おいぼれ》め、併《しか》し己の方は若しも証拠|隠匿《いんとく》の罪に落ては成らぬと一本残して置たのに彼奴《きゃつ》其一本を取れば後に残りが無いから取《とり》も直さず犯罪の証拠を隠したに当る夫を知《しら》ないでヘンなにを自慢仕やがるんだ」と笑う心を推隠《おしかく》して「ヘヽエ、君の目の附所《つけどころ》は実に違うナル程僕も髪の毛を一本握ッて居るのをば見たけれど夫が証拠に成《なろ》うとは思わず、実に後悔だ君より先へ取て置《おけ》ば好ったのに(谷)ナアニ君などが取たって仕方が無いワネ、若し君ならば一本の髪の毛を何うして証拠にする天きり証拠にする術《すべ》さえ知らぬ癖に(大)知《しら》なくても先へ取れば後で君に問うのサ何うすれば証拠に成るだろうと、エー君、何うか聞かせて呉れたまえ極内《ごくない》で、エ一本の髪の毛が何うして証拠に成る」下から煽《あお》げば浮々《うか/\》と谷間田は誇り裂けるほどに顔を拡げて「先《ま》ア見たまえ此髪の毛を」と云いながら首に掛たる黒皮の懐中蟇口《ふところがまぐち》より長さ一尺強も有る唯一本の髪の毛を取出し窓の硝子に透《すか》し見て「コレ是だ、先ず考え可し、此通り幾曲りも揺《ゆっ》て居るのは縮れッ毛だぜ、長さが一尺ばかりだから男でもチョン髷に結《いっ》て居る髪の毛は是だけの長《たけ》は有るが今時の事だから男は縮毛なら剪《かっ》て仕舞う剪《から》ないのは幾等《いくら》か髪の毛自慢の心が有る奴だ男で縮れっ毛のチョン髷と云うのは無い(大)爾々《そう/\》縮れッ毛は殊に散髪に持《もっ》て来いだから縮れッ毛なら必ず剪て仕舞う本統に君の目は凄いネ(谷)爾すれば是は女の毛だ、此人殺の傍には縮れッ毛の女が居たのだ(大)成る程(谷)居たドコロでは無い女も幾分か手を下したのだ(大)成るー(谷)手を下さ無《な》ければ髪の毛を握《つか》まれる筈が無い是は必ず男が死物|狂《ぐるい》に成り手に当る頭を夢中で握《つか》んだ者だ夫《それ》で実は先ほどもアノ錐の様な傷を若《も》しや頭挿《かんざし》で突たのでは無いかと思い一寸《ちょっ》と君の心を試して見たのだ素徒《しろうと》の目でさえ無論|簪《かんざし》の傷で無いと分る位だから其考えは廃したが兎に角、縮れッ毛の女が傍に居て其髪を握《つか》まれた事は君にも分るだろう(大)アヽ分るよ(谷)其所で又己が思い出す事が有る、最《も》うズッと以前だが博賭徒《ばくちうち》を探偵する事が有て己が自分で博賭徒《ばくちうち》に見せ掛け二月《ふたつき》ほど築地の博徒宿に入込んだ事が有る其頃丁度築地カイワイに支那人の張《はっ》て居る宿が二ヶ所あった、其一ヶ所に恐しいアバズレの、爾サ宿場女郎のあがりでも有《あろ》うよ、でも顔は一寸と好い二十四五でも有うか或は三十位でも有うかと云う女が居た、今思えば夫が恰度《ちょうど》此通りの縮れッ毛だ(大)夫は奇妙だナ(谷)サア博賭宿と云い縮れッ毛の女と云い此二ツ揃ッた所は外に無い、爾思うと心の所為《せい》かアノ死顔も何だか其頃見た事の有る様な気がするテ、だからして何は兎も有れ己は先ず其女を捕えようと思うのだ、名前は何とか云《いっ》たッけ、之も手帳を見れば分る爾々《そう/\》お紺と云ッた、お紺/\余り類の無い名前だから思い出した、お紺/\、尤も今|未《ま》だ其女が居るか居無いか夫も分らぬけれど、旨く居て呉れさえすれば此方の者だ、女の事だから連て来て少し威《おど》し附ればベラベラと皆白状する、何《ど》うだ剛《えら》い者だろう(大)実に恐入ったナア、けどが其宿は何所に在るのだ築地の何所いらに、夫さえ教えて呉れゝば僕が行て蹈縛《ふんじばっ》て来る、エ何所だ直に僕を遣て呉《くれ》たまえ」谷間田は俄《にわか》に又茶かし顔に復《かえ》り「馬鹿を言え是まで煎じ詰めた手柄を君に取られて堪る者か(大)でも君は、僕の為に教えて遣ると云ッたでは無いか、夫で僕を遣て呉れ無いならば教えて呉れたでは無い唯だ自慢を僕に聞せた丈の事だ(谷)夫れほど己の手柄を奪い度《た》きゃ遣てやろうよ(大)ナニ手柄を奪うなどと其様な野心は無い僕は唯だ―(谷)イヤサ遣ても遣《やろ》うが第一君は何うして行く(大)何うしてッて外に仕方は無いのサ君に其町名番地を聞けば後は出た上で巡査にでも郵便配達にでも聞くから訳は無い、其家へ行て此家《このや》にお紺と云う者は居無いかと問うのサ」谷間田は声を放ッて打笑い「夫だから仕方が無い、夜前人殺と
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