目科は「さア時が来た」と云い余を引きて此隠場を出で一直線に藻西の店先に到るに果せるかな先刻見たる下女唯一人帳場に据《すわ》りて留守番せり、目科の姿を見て立来るを、目科は無雑作なる言葉にて「これ/\、内儀《ないぎ》を一寸《ちょっ》と呼で呉れ下「内儀《おかみ》さんは最《も》う出て仕舞いましたよ」目科は驚きたる風を示し「其様な筈は無いよお前先程来た己の顔を忘れたな下「いえ爾では有ませんが、全く内儀《おかみさん》は出て仕舞たのです、虚《うそ》と思えば奥の間へ行て御覧なさい、最う誰も居ませんから目「やれ/\、あゝ夫は困ッたなア実に困《こまっ》た、己よりも先《ま》ア内儀が嘸《さぞ》かし失望する事だろう、困たなア」と頭を掻く其様如何にも誠《まこと》しやかなり、下女は何事かと怪しむ如く、開きたる眼に目科の顔を打眺む、目科は猶も失望せし体にて「実は己が余り粗匆《そゝっか》しく聞て行たから悪かッたよ、折角内儀の言伝《ことづけ》を受《うけ》て、先の番地を忘れるとは、爾々《そう/\》お前若しあの人の番地を覚えて居やア仕無いか、何でもお前も傍で聞て居たかと思たが女「いえ私しは初めから店へ出て居たから聞《きゝ》ま
前へ 次へ
全109ページ中97ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
黒岩 涙香 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング