、若《も》し藻西が十一時前後頃に其職人と一緒に居たりとの事分らば、老人の許《もと》を問いしは藻西太郎に非《あら》ずして藻西に似たる別人なること明かなれば、老人を殺せしも矢張《やはり》其別人にして藻西の無罪は明白に分り来らん、目科が念を推《お》す言葉に倉子は却《かえっ》て落胆し「さア夫《それ》が分らぬから運の尽だと申すのです目「え、え、夫が分らぬとは、又|何《ど》う云う訳で倉「生憎其職人が内に居なくて所天《おっと》は逢ずに帰ッて参りました」目科も失望せしと見え急しく煙草を嚊ぐ真似して其色を隠し「成るほど夫は不運ですね、でも其家の店番か誰かゞ貴方の所天を認めたでしょう倉「夫が店番の有る様な家では無いのです。自分の留守には戸を〆《しめ》て置くほどの暮しですから」ああ読者よ、如何にも是は運の尽なり、実際には随分あり勝の事柄なれど、裁判の証拠には成難《なりがた》し、証拠と為らざるのみならで若《も》し裁判官に此事を聞せては却《かえっ》て益々疑わしと云い藻西太郎に罪のある証拠に数えん、之を思えば藻西太郎が、直《すぐ》に自ら白状したるも之が為に非ざるか、有《あり》の儘《まゝ》を言立たりとて不運に不運の
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