》だ余が大《おおい》に怪しと思いたるは老人の顔の様子なり、老人の顔附は最《い》と穏《おだや》かにして笑《えみ》を浮めしとも云う可《べ》く殊《こと》に唇などは今しも友達に向いて親密なる話を初《はじめ》んとするなるかと疑わる、読者記臆せよ、老人の顔には笑こそあれ苦《くるし》みの様子は少しも存せざることを、是《こ》れ唯《た》だ一突《ひとつき》に、痛みをも苦みをも感ぜぬ中《うち》に死し去りたる証拠ならずや、余は実に爾《そ》う思いたり、此老人は突《つか》れてより顔を蹙《しか》むる間も無きうちに事切《ことぎれ》と為《な》りしなりと、若《も》し真に顔を蹙むる間も無かりしとせば如何《いか》にして MONIS《モニシ》 の五文字を其《その》床《ゆか》に書記《かきしる》せしぞ、死《しぬ》るほどの傷を負い、其痛みを堪《こら》えて我|生血《いきち》に指を染め其上にて字を書くとは一通りの事に非《あら》ず、充分に顔を蹙め充分に相《そう》を頽《くず》さん、夫《それ》のみか名を書くからには、死せし後にも此悪人を捕われさせ我が仇《あだ》を復《かえ》さんとの念あること必定《ひつじょう》なれば顔に恐ろしき怨みの相こそ現わる
前へ 次へ
全109ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
黒岩 涙香 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング