うや》くに我心を推鎮《おししず》め「え、え」と悔しげなる声を発して其儘寝台に尻餠《しりもち》搗《つ》き「えゝ、是でさえ最《も》う充分の苦みだのに此上、此上、何事も問うて下さるな、最う何《ど》う有ても返事しません」断乎《だんこ》として言放ち再び口を開かん様子も見えず、目科も此上問うの益なきを見て取りしか達《たっ》て推問《おしと》わんともせず、是にて藻西太郎を残し余と共に牢を出で、階《はしご》を下りて再び鉄の門を抜け、廊下を潜り庭を過《よぎ》り、余も彼れも、無言の儘にて戸表《おもて》へと立出しが余は茲《こゝ》に至りて我慢も仕切れず、目科の腕に手を掛けて問う「是で君は何と思う、え君、彼れ自分で殺したと白状して居るけれど伯父が何の刃物で殺されたか夫さえも知ぬじゃ無いか、君が短銃《ぴすとる》の問は実に甘《うま》かッたよ、彼は易々《やす/\》と其計略に落ちた、今度こそ彼れの無罪が明々白々と云う者だ、若し彼れが自分で殺したなら、なに短銃《ぴすとる》で無い短剣だッたと云う筈だのに」目科は簡単に「左様さ」と答えしが更に又「併《しか》し何方《どちら》とも云れぬよ罪人には随分思いの外に狂言の上手な奴が有て、判事や探偵を手球《てだま》に取るから余「だッて君目「いや/\僕は今まで色々な奴に出会《でっくわ》したゞけ容易には少しの事を信ぜぬて、併《しか》し今日の詮索は先ず是だけで沢山だ、是から帰て僕の室へ来、何か一口|喫《た》べ給え、此後の詮索は明日又朝から掛るとしよう」


          第七回(馬鹿か、否《いな》)

 是より目科が猶も余を背後《うしろ》に従え我宿に帰着き我室の戸を叩きしは夜も早や十時過なりき、戸を開きて出迎える細君は待兼し風情にて所天《おっと》の首にすがり附き情深きキスを移して「あゝ到頭《とうとう》お帰になりましたね今夜は何だか気に掛りまして」と言掛けて余が目科の背後《うしろ》に在るを見、忽《たちま》ち一歩引下り「おゝ御一緒に、今まで珈琲館に居《いら》しッたのですか、私しは又用事で外へお廻りに成たかと思いました、遊《あそん》でお帰り成《なさ》るには余り遅過るじゃ有ませんか」帰りの遅きは用事の為とのみ思いたるに余と一緒なるを見て扨《さて》は遊びの為なりしかと疑い初めたる者と知らる、目科は隙《すき》も有らせず「なに珈琲館を出たのは六時頃だッたがバチグノールに人殺《ひとごろし》が有たので隣室の方と共に其方《そのほう》へ廻ッて夫故《それゆえ》此通《このとお》り」と言開く、細君は顔色にて偽りならぬを悟りし乎《か》、調子を変て「おや爾《そう》」と呟けり、此短き「おや爾」には深き意味ある如く聞ゆ「おや/\、探偵を勤めて居ることを隣の方にまで知せたのですか」と云うに同じかる可《べ》し、目科は直ちに其意を汲《く》み「隣の方と一緒でも構わぬよ、探偵を勤めるが何も恥では有るまいし」と言い掛るを細君が「なに爾では有りませんよ」と鎮《しずめ》んとすれど耳に入れず「成る程世間には探偵を忌嫌《いみきら》う間違ッた人も有《あろ》うけれど一日でも此|巴里《ぱり》に探偵が無かッて見るが好い悪人が跋扈《ばっこ》して巴里中の人は落々《おち/\》眠る事も出来ぬからさ、私は探偵の職業を誰に聞せても恥と思わぬ」とて喋々《ちょう/\》言張んとす、細君は斯《かゝ》る瞋《いか》りに慣たりと見え一言も口をはさまず、目科も頓《やが》て我言葉の過たるを悟りし如くがらり打解て打笑い「いや其様な事は何うでも好い、夫より先《ま》ア、二人とも空腹に堪えぬから何なりと喫《たべ》るものを」と云う、不意の食事は此職業には有りがちなれば細君は騒ぎもせず庖《くりや》の方《かた》に退きて五分間と経《へ》ぬうち早や冷肉の膳を持出で二人の前に供したれば、二人は無言《むげん》の儘忙わしく喫《た》べ初めしも、喫て先ず脾《ひ》だるさの鉾先だけ収まるや徐々《そろ/\》と話に掛り、目科は今宵の一条を洩さず細君に語り聞かす流石探偵の妻だけに細君も素人臭き聞手と違い時々不審など質問する孰《いず》れも能《よ》く炙所《きゅうしょ》に当れば余は殆ど感心し「此の聞具合では必ず多少の意見も有るだろう」と窃《ひそか》に思待《おもいま》つうちに、漸《ようや》く目科の話が終れば果せるかな細君は第一に「貴方は失念《ぬかっ》た事を仕ましたね」と云う、目科は宛《あたか》も今までの経験にて細君の意見の侮《あなど》り難きを知れる如く、此言葉に多少の重みを置き「失念《ぬかっ》た事とは何が細「現場を立去ッてから直《すぐ》に牢屋へ行くと云う事は有りませんよ目「だッて牢屋には肝腎《かんじん》の藻西太郎が居るだろうじゃ無いか細「でも貴方、藻西に逢た所で別に利益は無《なか》ッたでしょう、夫《それ》よりは何故直に藻西太郎の宅へ行き其《その》妻《さい》を尋問しませ
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