えぶる》を囲みて雑話せるを見る、余は小声にて目科を控え「今時分藻西太郎に逢う事が出来ようか」と問う、目科は「出来るとも僕が此事件の詮鑿を頼まれて居るでは無いか仮令《たと》い夜の夜半《よなか》でも必要と認れば其罪人に逢い問糺《といたゞ》す事を許されて居る」と云い余を入口に待せ置き内に入りて二言三言、何事をか残員《のこりいん》と問答せし末、出来《いできた》りて再び余を従えつ又奥深く進み行き、裏庭とも思わるゝ所に出で、※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]《そ》を横切りて長き石廊に登り行詰る所に至れば厳《いか》めしき鉄門あり、番人に差図《さしず》して之を開かせ其内に踏み入るに是が牢屋の入口なる可く左右に広き室ありて室には幾人の巡査集れるを見る、室と室との間に最《いと》険《けわ》しき階段あり之を登れば廊下にして廊下の両側に列《つら》なれる密室は悉《こと/″\》く是れ囚舎《ひとや》なるべく其戸に一々逞ましき錠を卸せり、廊下の入口に立てる一人、是が世に云う牢番ならんか、兼《かね》て小説などにて読みたる剛《こわ》らしき人とは違い存外に気も軽げなれど役目が役目だけ真面《まじめ》には構えたり、此者目科を見るよりも腰掛を離れて立ち「やア旦那ですか、多分|入《いら》ッしゃるだろうと思ッて居ました何でもバチグノールの老人を殺した藻西とか云う罪人にお逢い成《なさ》るのでしょうね目「爾《そう》だ、何か其藻西に変ッた事でも有るのか牢番「なに変《かわっ》た事は有りませんが唯《た》ッた今警察長がお見《みえ》に成り彼れに逢て帰たばかりですから目「夫《それ》だけで能《よ》く己の来たのが藻西に逢う為めだと分ッたな牢番「いえ夫だけでは有ません、警察長は僅か二三分囚人と話て帰り掛けにアノ野郎言張て見る気力さえ無い、斯《こ》う早く罪に服そうとは思わなんだが是で最《も》う充分だ今に目科が遣て来て彼奴《きゃつ》の言立を聞き失望するだろうと何か此様な事を呟いて居ましたから」目科は之を聞き扨《さて》は罪人|早《は》や既に爾《そう》まで罪に服したるやと驚きしものゝ如く、嚊煙草を取出す事すら打忘れて牢の入口を鋭く見遣《みや》れり、牢番は目科の様子に気を留ずして言葉を続け「成るほどあれでは服罪しましょう、私《わた》しは一目見た時から此野郎|迚《とて》も言開《いいひらき》は出来まいと思いました目「して藻西は今何をして居る番「私しは役目通り今まで彼れを窺《のぞ》いて居ましたが、彼れ疾《と》くに後悔を初めたと見え泣て居ますよ、宛《まる》で身体の大きい赤坊です、声を放ッて泣て居ます目「何《ど》れ行て見よう、だが己《おれ》の逢て居る間、外で物音をさせては了《いけ》ないよ」と注意を与え目科は先ず抜足して牢の所に寄り窃《ひそ》かに内を窺い見る、余も其例に従うに成る程囚人藻西太郎は寝台《ねだい》の上に身を投げて俯伏《うつぶ》せしまゝ牢番の言し如く泣沈める体《てい》にして折々に肩の動くは泣じゃくりの為なるべく又時としては我身の上の恐ろしさに堪えぬ如く総身《そうしん》を震わせる事あり、見るだけにても気の毒なり、良《やゝ》ありて目科は牢の戸を開かせつ余を引連れて内に入る、藻西太郎は泣止みて起直り、寝台の上に身を置きしまゝ目科の顔を仰ぎ見るさま、痛く恐を帯びたるか爾《さ》なくば気抜せし者なり、余は目科の背後《うしろ》より彼れの人と為《な》りを倩々《つく/″\》見るに歳は三十五より八の間なる可《べ》く背は並よりも寧《むし》ろ高く肩広くして首短し、執《いず》れにしても美男子と云わるゝ男には非ず、美男子を遙か離れ、強き疱痘《ほうそう》の痕《あと》ありて顔の形痛く損し其|額《ひたい》高きに過ぎ其鼻長きに過るなどは余ほど羊に近寄りたる者とも云う可し、去《さ》れど其《その》眼《まなこ》は穏和げにして歯は白く且《かつ》揃いたり。
目科は牢に入るよりも大《おおい》に彼れが気を引立んとする如く慣々《なれ/\》しき調子にて「おやおや何うしたと云うのだ、其様に鬱《ふさ》いでばかり居ては仕様が無い」と云い彼が返事を待つ如く言葉を停めしも彼れ更に返事せざれば目科は猶《な》お進み「え、奮発するさ奮発を、これさこれ藻西さんお前も男じゃ無いか、私《わし》が若《も》しお前なら決して其様に凋《しお》れては居無いよ、男の気象《きしょう》を見せるのは此様な時だろう、何でお前は奮発せぬ、茲《こゝ》で一つ我身に覚えの無い事を知せ判事や警察官に一泡《ひとあわ》吹せて呉《くれ》ようじゃ無いか」実に目科は巧なり彼れが言葉には筆に尽せぬ力あり妙に人の心を動かすに足る、余若し罪人ならば唯《たゞ》彼れの一言に奮い起き仮令《たと》い何れほどの疑いに囲まれようとも其の疑いを蹴散して我身の潔白を知せ呉れんと励み立つ所なり、爾《さ》は云え目科は気も気に非ず、此一
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