、何にしろ此コロップは大変な手掛だ、是が手に入る以上は僕必ず曲者を捕えて見せる」と云終《いいおわ》りて其コロップを衣嚢《かくし》に入《いる》るに此所へ入来るは別人ならず今しも目科が呼置きたる此家の店番にして即ち先刻余と目科と此家に入込しとき店先にて大勢の店子等《たなこら》に泡を吹きつゝ話し居たる老女なり、女「何御用か知ませんが少々用事も有ますので余りお手間の取れぬ様に願います」と云いつゝ老女は目科の差出す椅子に寄れり、目科は何所《どこ》と無く威光高き調子を現わし「少し聞度《きゝた》い事が有るので、是から一々お前に問うから何も彼も腹臓なく答えぬと返てお前の不為《ふため》だよ女「はい心得ました」目科は判事の尋問する如く己れも先ず椅子に寄りて「殺された老人の名は何と云う、女「梅五郎《ばいごろう》と申《もうし》ました目「何時《いつ》から此《この》家《いえ》に住で居る女「はい八年前から目「其前は何所《どこ》に住だ女「夫《それ》まではリセリウ街《まち》で理髪店を開いて居ました、老人は理髪師で身代《しんだい》を作ッたのです目「何《ど》れほどの身代が有る女「確《たしか》には知ませんが老人の甥が時々申ますに伯父は命を取られると云う場合には随分百万|法《フランク》くらいは出し兼ぬと云いました」目科は心の中にて「ふゝむ予審判事は何かの書面を頻《しき》りと書記に写させて居たから梅五郎の身代を残らず調べ上て行たと見えるな」と打呟《うちつぶや》き更に又老女に向い「して梅五郎老人は平生《へいぜい》何《ど》の様な人だッた女「極々《ごく/\》の善人でした、尤《もっと》も少し我儘《わがまゝ》で剛情な所は有ましたが高ぶりは致しません、少し機嫌の能《よ》い時は面白い事ばかり言て人を笑せました、爾《そう》でしょうよ流行社会の理髪師で巴里《ぱり》中の美人は一人残らず彼《あ》の人の手に掛ッて髪をくねらせて貰ッたと云う程ですもの目「暮し向は女「先《ま》ア当前ですねえ、自分で儲溜《もうけた》めた金で暮す人には丁度相当と思われる暮し方でした、夫《それ》かとて無駄使などは決して致しませんでしたが目「夫だけでは確《しか》と分らぬ何か是と云う格別な所が有そうな者だ女「有ますとも老人の室の掃除|向《むき》と給仕とは私《わたく》しが引受けて居ましたもの、大層|甲斐々々《かい/″\》しい老人で室の掃除などは大概《たいがい》一|人《にん》で仕て仕舞い私には手を掛させぬ程でした、何がなし暇さえあれば掃《はい》たり拭《ふい》たり磨《みがい》たり仕て居るが癖ですから目「給仕の方は女「給仕の方は毎日昼の十二時を合図に私しがお膳を持て来るのです、夫が老人の朝飯です、朝飯が済でから身仕度するが凡《およ》そ二時まで掛ります、大層着物を被《き》るのが八《や》かましい人で毎《いつ》でも婚礼の時かと思うほど身綺麗《みぎれい》にして居ました、身仕度が終ると家を出て宵《よい》の六時まで散歩し六時に外で中食《ちゅうじき》を済せ、夫から多くはゲルボアの珈琲館に入り昔友達と珈琲を呑《のん》だり歌牌《かるた》を仕たりして遅くも夜の十一時には帰て来て寝床《ねどこ》に就きました、ですが唯《たっ》た一つ悪い事にはあの年に成《なっ》て猶《ま》だ女の後を追掛る癖が止みませんから私しは時々年に恥ても少しは謹《つゝし》むが好《よか》ろうと云いました、ですが誰でも落度は有る者《もの》で夫《それ》に若い頃の商売が商売で女には彼是《かれこ》れ云れた方ですから言えば無理も有りますまいが」と云い少し笑いを催し来《きた》れど目科は極めて真面目にて「して梅五郎の許《もと》へは沢山《たくさん》尋ねて来る人が有たのか女「はい有ッても極極《ごく/\》僅《わず》かです其うちで屡々《しば/\》来るのが甥の藻西太郎さんで、土曜日の度には必ず老人に呼ばれてラシウル料理店へ中食に行きました目「甥と老人との間柄は女「此上も無く好い仲でした目「是までに言争いでも仕た事は女「決して有りません、尤もお倉《くら》さんの事に就ては両方の言う事が折合ませんですけれど目「お倉さんとは誰の事だ女「藻西太郎さんの細君《おかみさん》です、実に奇麗な女ですよ。あの様なのが先《ま》ア立派な女と云うのでしょう、夫《それ》に外に悪い癖は有りませんけれど其お倉さんも大変な衣服蕩楽《なりどうらく》で藻西太郎さんの身代に釣あわぬほど立派な身姿《みなり》をして居ますから綺倆《きりょう》が一層引立ちます、ですから全体云えば老人が大層誉め無ければ成らぬ筈ですのに何《ど》う云う者か老人は其お倉さんが大嫌いで藻西太郎さんに向ッては手前は女房を愛し過る今に見ろ女房の鼻の先で追使われる様になるからとか、お倉は手前の様な亭主に満足する女じゃ無い、今に見ろ何か間違いを仕出来《しでか》すからとか其様な事ばかり言て居ました
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