見、余等二人に噛附んとするなる可《べ》し、倉子は一声に「これ、プラト、怒るのじゃ無いよ、此お二人は恐しい方じゃ無いから」と、叱り附る、叱る心を暁《さとり》てか犬は再び寝台の下に隠れたれども、猶《な》お少しでも女主人の危きを見れば余等二人に飛附ん心と見え暗がりにて見張れる眼《まなこ》、宛《あたか》も二個《ふたつ》の星の如くに光れり、目科は倉子の言葉を機会《しお》に「ほんに吾々は恐しい人じゃ有《あり》ません、斯《こう》して来たのも捕縛など云う恐る可《べ》き目的では無いのです」是だけ聞きて倉子は少し安心の色を現すかと思いしに少しも爾《さ》ること無く、目科の言葉を聞ざりし如くに、我手に持《もて》る呼出状を一寸《ちょっ》と眺めて「今朝裁判所から此通り私しを午後の三時に出頭しろと云て来ましたが、裁判官は虫も殺さぬ私しの所天へ人殺の罪を被《き》せ、夫《それ》で未《ま》だ飽足《あきたら》ず、私しをまで何《ど》うか仕ようと云うのでしょう」目科は今までに余が見し事なきほど厳そかなる調子にて「裁判所は決して貴女の敵では有ません唯|問糺《といたゞ》す丈《だけ》の事です、貴女に問えば若しも藻西太郎の罪の無い証拠が上ろうかと思う為です、私しの来たのも矢張《やはり》唯《た》だ夫《それ》だけの目的で、色々貴女に問うのです、貴女の答え一つに依り嫌疑が益々重くもなり、又全く無罪にも成りますから腹臓《ふくぞう》なく返事するのが肝腎です、さ何《ど》うか腹臓なく」と云《いわ》れて倉子は凡そ一分間が程も其青き眼《まなこ》を挙《あ》げ目科の顔を見詰るのみなりしが、漸《ようや》くにして「さアお問なさい」と云う、あゝ目科は如何なる問を設けて倉子を罟《わな》に落さんとするや、定めし昨夜藻西太郎を問し如く敵の備え無き所を見て巧みに不意の点のみを襲うならんと、余は窃《ひそ》かに堅唾《かたず》を呑みしに彼れは全く打て変り、正面より問進む目「えー、藻西太郎の伯父|梅五郎《ばいごろう》老人の殺されたのは一昨夜の九時から十二時までの間ですが其間丁度藻西太郎は何所《どこ》に居ました何をして」倉子は煩悶に堪えぬ如く両の手を握り〆《し》め「是が本統に、運の尽《つき》と、云う者です」と言掛けて涙に咽《むせ》ぶ目「運の尽とは何《ど》う云う者です、所天《おっと》が何所に何をして居たか、貴女が知らぬ筈《はず》は有りますまい倉「はい」と漸く言《
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