《これ》や考えて見ると藻西と云う方が何《ど》うしても近いかと思われます、詰《つま》り藻西は何《なん》でしょう随分智慧の利《き》く男で、通例の手段では倒底助からぬと思ッたからずッと通越して此様な工夫を定めたのでしょう」細君の言葉の調子が斯《か》く大《おおい》に柔かくなるに連れ余の疑いも亦再び芽を吹き「爾《そう》すると藻西が自分で白状したのは何《ど》う云う者でしょう細「夫《それ》が即ち彼れの工夫の一部分では有ませんか余「だッて貴女、彼れは老人が何で殺されたか夫《それ》さえ知ぬ程ですもの細「知ぬ事は有ますまい、貴方がたが鎌を掛たから夫《それ》を幸いに益々知らぬ振《ふり》をするのです、此方から短銃《ぴすとる》と言た時に直様《すぐさま》はい其|短銃《ぴすとる》は云々《しか/″\》と答えたのが益々彼れの手管《てくだ》ですわ、詰《つま》り彼れは丁度計略の裏を書《かい》て居るのです、其時若し彼れがいえ短銃《ぴすとる》では有ません短剣でしたと答えたなら貴方がたも之ほどまで彼れを無罪とは思わず彼れの工夫が破れて仕舞いましょう、貴方がたの見て驚く所が彼れの利口な所だと私しは思いますが」
余は猶《な》お何とやら腑に落ぬ所あれば更に議論を進めんとするに、目科は横合《よこあい》より細君に声を掛け「これ/\、和女《そなた》は今夜|何《ど》うかして居るよ、毎《いつ》もと違い余り小説じみた事を云う」と制し更に余が方《かた》に向来《むききた》りて「今夜は最《も》う置きたまえ、僕は既に眠くなッた。其代り明早朝に又君を誘うから」
実に目科は多年経験を積みし為め事に掛れば熱心に働き通し、其代り又|一《ひとた》び心を休めんと決すれば、其休むる時間|丈《だ》け全く其事を忘れ尽して他の事を打楽しむ癖を生じたる如くなるも余には仲々其真似出来ず「然《さ》らば」とて夫婦に分れを告げ居間に帰りて寝て後も唯《たゞ》此事件のみ気に掛り眠らんとして眠り得ず、「あゝ藻西太郎は罪無きに相違なし」と呟き「罪なき者が何故に自ら白状したるや」と怪み、胸に此二個の疑団《ぎだん》闘い、微睡《まどろ》みもせず夜を明しぬ
第八回(太郎の妻)
読者よ、初めて此犯罪に疑いを容《い》れたるは実に余なり、余が老人の死骸を見て其顔に苦痛の体《てい》なきと其右の手に血の痕なきを知りてより斯《かく》は疑い初めたる者なれば余は如
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