我れに復りて其様な筈は有ません必ず誰かの間違いでしょうと言ました、検査官が推返《おしかえ》して決して人違いで無いと答えますと夫《それ》では何の廉《かど》で捕縛しますと問返しました、オイ何の廉などゝ其様な児供欺《こどもだま》しを云《いっ》ても駄目《だめ》だよ其方の伯父《おじ》は何《ど》うした、既に死骸が其筋の目に留り其方が殺したと云う沢山の証拠が有る其方に於いて覚え有う、と詰寄る検査官の言葉を聞て驚いたの驚か無いのと云て全《まる》で度胸を失ッて仕舞ました、何か言《いお》うとするけれど其言葉は口から出ず蹌踉《よろめ》いて椅子に倒れると云う騒ぎです、検査官は彼れの首筋を捕えて柔かに引起し今更彼是れ云うても無益だ有体《ありてい》に白状しろ白状するに越した事は無いと諭《さと》しました、彼れは早や魂も抜けた様に成り馬鹿が人の顔を見る様に検査官の顔を見上てハイ何も彼も白状致します全く私しの仕《し》た業《わざ》ですと答えました」警察長は聞来りて「能《よ》く遣《やっ》た、能く遣た」と再び賛成の意を示すに巡査は全く勝誇りて「私し共は素《もと》より出来るだけ早く事を終る所存です、成る可く人を騒がすなと云うお差図を得て居ましたが何時《いつ》の間にか早や弥次馬ががや/\と其戸口に集りましたから検査官は罪人の手を引立てさゝ警察署で待て居るから直に行こうと云いますと罪人はやッと立上り有《あり》だけの勇気を絞り集めた声でハイ参りましょうと答えました吾々は是で最《も》う何も彼も旨《うま》く行たと思て居ましたが実は彼れの背後《うしろ》に女房の控えている事を忘れて居ました、此時まで藻西太郎の女房は気絶でも仕たかと思わるゝほど静で、腕椅子に沈込んだまゝ一言も発せずに居ましたが吾々が藻西を引立ようとすると宛《まる》で女獅々の狂う様に飛立て戸の前に立塞がり、通しません茲《こゝ》を通しませんと叫びましたが本統《ほんとう》に凄い様でした、流石《さすが》に検査官は慣て居るだけ静に制してイヤ内儀《ないぎ》腹も立うが仕方が無い其様な事をするだけ不為《ふため》だからと云ましたけれど女房は仲々聴きません果《はて》は両の手に左右の戸を捕え所天《おっと》に決して其様な罪は無い彼に限ッて悪事は働かぬとか所天が牢へ入られるなら私しも入れて下さいとか夫は/\最う聞くも気の毒なほど立腹し吾々を罵るやら誹《そし》るやら、容易には収り相《
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