たということであった。
 この柔道は荒木新流という、実はもう古い流儀のものだった。

 その後坂本先生は、僕が最初の入獄を終えて初めて家を持った時、こんど上京したからと言って訪ねて来た。これは後で間接に聞いたことであるが、実は父と相談して僕を説得しに来たのだったそうだ。が、そんなことは少しもなしに、今でもまた折々訪ねて来ては昔ばなしをして行く。
「どうしたって、そんな病気になる筈はないんだがね……」
 僕が肺の悪いことを聞いて先生は不思議がっていた。そして先生発明の曲伸法という運動方法を勧めてくれた。最近に僕はこの曲伸法で獄中で大たすかりをした。
 先生はもう五十をよほど越しているのだろうが、昔僕が知っている三十幾つかの頃の、小造りであるがまんまると太った、色つやのいい顔の先生そのままでいる。そして今でも、小石川のその修養塾のそばに道場を造って柔道の先生をし、また夏は子安辺で水泳の先生をして、毎年の冬隅田川で寒中水泳を催している。

 この柔道から少し遅れて、撃剣も教わりに行った。昼の柔道の時間をその方へ廻したのだ。流儀の名は忘れたが、先生は今井先生と言った。
 先生は大兵肥満の荒武者
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