さい読書を厳禁してあった。しかしいろんな書物がひそかに持ちこまれた。
 もう人の名も本の名もよくは覚えていないが、たとえば大町桂月とか塩井雨江とかいうような当時の国文科出身の新進文学士や、久保天随とか国府犀東とかいう漢文科出身の新進文学士が、しきりに古文もどきや漢文もどきの文章を発表した時代だ。僕はそんなものをしきりに耽読した。
 僕が今ここに塩井雨江という名を挙げたのは、その人の何かの文章の中に「人の花散る景色面白や」とあったのが、当時の僕の読んだものの中で覚えているたった一つのことだからである。誰の何が僕にどんな影響を与えたかは何にも記憶しない。
 しかしたぶん、それらの本の中には、恐らくは幼稚なしかし自由で奔放な、ロマンティズムが流れていたのではなかったかと思う。

 そんな読書の影響であろうが、僕もその頃から擬古文めいたものを書いていた。これは三年になってからのことであるが、「離宮拝観記」というものを書いて、四宮憲章という漢文の先生から、「才多からざるに非ず、文巧みならざるに非ず、ただ柔弱、以て軍人の文とす可らず」という批評を貰ったことを覚えている。その前半がきっとよほどのお得
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