意で、そして後半がよほどの不平だったのだろうと思う。
 が、二年の時の何とかいう国語の先生は、僕のこの「才」を大いに愛してくれた。そしてある雪の日の作文の時間に、こんな日の練兵は「豪快」でもあろうが、しかしまた何とかでもあろうと言って、その何とかという熟字を教えてくれた。僕はさっそく僕の文章の中にその熟字を使った。
 それから数日して、僕は生徒監に呼ばれて、本当にそう思ったのかと尋ねられて、よし本当でもそんなことは書くものでないと叱られた。あとで聞くと、先生もそんな字を教えるんじゃないと叱られたそうだ。
 僕は先生の家へ一、二度遊びに行った。先生は、そうした(七字削除)しさや、先生が判任官なので軍曹とともに一緒に食事しなければならないことなどを、しきりにこぼして聞かした。
「君はいい時に出た。僕もとうとう出されちゃったよ。何か仕事はないかね。」
 その後五、六年たって、ふと道で先生と会った時、先生はさびしそうに笑いながら言っていた。

 その夏僕は、訓育(実科)では未曽有の十九点何分(二十点満点)で一番、学科では十八点何分で二番、操行ではこれまた未曽有の十四点何分で下から一番、平均して
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