も大きいのが一つと小さいのが一つとあった。そしてその間に、僕等が「天文台」と呼んでいたものが立っていた。実際そこには気温、気圧、風力、雨量などを計るかなり精巧な器械や、地震計などが備えつけられてあった。
 中学校の三、四年程度までしかやらない初等学校で、こんな設備のあるのは、恐らくは今でも他にはあるまいと思う。だが、この設備は、生徒のためではなくって先生のためのものだったようだ。博物と理化の先生が校長とよく知っていて、最初学校を建築する時に、その先生が設計したのだといううわさがあった。先生は一人の若い助手と一緒に、いつも、やはりこの学校の分には過ぎた立派な設備の理化学実験室や、この天文台や植物園で暮していた。が、生徒にそれを十分利用することは少しも教えなかった。そして僕等が学校を出てから、どこかからその批難が起って、この天文台は師範学校かどこかへ売ってしまった。
 僕はこの植物園の中を、小さな白い板のラテン語の学名や和名などを読みながら、歩き暮した。そして絶えず今までの生活を顧みながら考えていた。

 この反省はさらに、僕を改心というよりもほかの、他の方向へ導いて行った。
 それは僕が
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