りが入門した。みんな僕なぞの足くらいもある太さの、恐ろしいほど瘤や筋の出ばった腕を持った、二十前後の若い衆ばかりだった。先生は僕をその相手に選んだ。ちょっと彼等に握られると、腕の骨がくだけるかと思うほどに痛かった。が、彼等の腰と足とは子供のように弱かった。僕はそれにつけこんで彼等をころころ転がしてやった。みんなは喜んで僕を先生の代理にしていた。そして折々小刀なぞを作って持って来てくれた。
そこではまた棒も教わった。縄も教わった。棒はことにお得意だった。今でもまだ棒が一本あれば二人や三人の巡査が抜剣して来たところで、あえて恐れないくらいの自信がある。
幼年学校にはいってからの第一の暑中休暇に、坂本先生のそのまた先生の森川というお爺さんから、ある伝授をするから一週間ばかり泊りがけで来いという迎いが来た。
お爺さんは新発田から二里半ばかり距たった次弟浜という海浜にいた。で、僕は海水浴がてら行って見た。お爺さんはもと通りちょん髷を結って、もう腰がすっかり曲っていた。それでも行くとすぐ、前にも道場でよくやったように、棒の相手をさせられた。お爺さんが木太刀を持って、僕が棒を持ってそれに向うのだ。お爺さんのかけ声はこっちの腹にまで響くように気合がこもっていた。そしてその太刀で棒を圧えるようにして、じりじり進んで来られると、僕はちょっと自分の棒を動かすことができなかった。
お爺さんは目がわるくて自分で書けないからと言って巻物になっている「目録」を持って来て、僕に写さした。東方の摩利支天、西方の何とか、南方の何とか、北方の何とか、というようなことがあって、呪文めいた片仮名の何だか訳のわからんことの書きつづけられた妙なものだった。そしてその最後には、この「目録」を伝えられたことの系図のようなもので、源の何とかから藤原の何とかに、という十幾つか二十幾つかの名が連らねられてあって、最後に源の何とか森田何兵衛殿へとあった。これがお爺さんの名なのだ。そしてお爺さんは、この系図のおしまいに自分の名をいれて、そのあとへ大杉栄殿へと書くように言った。
片仮名の呪文は何の意味だかちっとも教えてくれなかった。が、人が見てはいけないと言って、裸で土蔵の中にはいって、あて身や何かを教えてくれた。
その後このお爺さんは、父のところへ来て、兵隊に玉除けのまじないをしたいからと言って、大ぶ手こずらし
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