目に遭っているんだろう。」
母はもう大ぶしおれた花には目もくれずに、僕が虎公に百合の根をやってしまったことを批難した。
僕はこれほど悲しかったことはなかった。涙も出ずに、ただ胸がそくそくと迫って来るような悲しさだ。そして僕はそのわけを母に話すこともできずに、というよりはむしろ、そんな気は少しも起らずに、しおしおとして自分の室に帰った。
これが僕の、もっともそのわけさえ話せば母は自分の過言をあやまって僕をほめてくれたに違いないとは思うものの、母に対するただ一つのしかし大きな悲しみの思い出だ。
けれども僕はやはり母は好きだった。
その夏のある晩に、みんなで座敷で涼んでいた。ふと、次の妹が庭先を見つめながら、
「あれえ」と叫び出した。みんなはびっくりして庭の方を見た。暗い隅の方に何だかぴかぴかと光る大きな目玉のようなものが一つ見えた。子供等はみな「あら」と言ったままおびえてしまった。
母はすぐに立って庭下駄をはいて下りて行った。僕等は黙ってそれを見送っていた。
「さあ、みんなここへお出で。何にも恐いことはありません。お化の正体はこんなものです。」
母は一人ずつそこへ呼んで、そのいわゆるお化の正体を見せた。それは罐詰か何かのブリキの鑵が二つ転がっていたのだった。
けれどもまた、たぶん僕のいたずらが年とともにますますはげしくなったせいであろうが、母の折檻もますますひどくなった。僕は母と女中と二人に、荒縄でぐるぐるからだを巻きつけられて、さんざんに打たれたことを覚えている。母の留守に女中の言うことを聞かなかったというのがそのもとだったようだ。母は大勢の子供をほったらかして、半日も一日も、近所のやはり軍人仲間の島さんのところへ行ってよく遊んでいた。そして子供等の上には、女中に絶対の権力を持たしていた。
喧嘩もよくした。
「自分のことではまだ人にあやまったようなことはないんだが、この子のためにだけはしょっちゅうあやまり通しですからね。」
母はよくこう言って、喧嘩の尻を持って来られる愚痴をこぼしていた。そして僕は父や母がただあやまるだけでは済まないようなことまでも幾度も仕出かした。
高等二年の時だ。同じ級の、しかしたぶん違う組の、西川というのと何かの衝突をした。僕が甲組第一のあばれもので、彼は乙組第一のあばれものであったのだ。僕はその日の帰り路があぶないと
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