もかかわらず馬鹿にけちだったところから後では高利貸かとも想像していたが、こんど行って聞いて見ると新発田第一の大地主だった。今は当主でぶらぶら遊んでいる。
「ほかではどうか知らないが、少なくともこの越後では農民運動は決して起りませんよ。地主と小作人とがまったく主従関係で、というよりもむしろ親子の関係で、地主は十分小作人の面倒を見ていますからね。」
 杉浦君は先日会った時、室のあちこちにある神棚のあかりを手際よく静かに団扇で消して、その農民との関係を詳しく話してくれた。

   四

 そんなふうで、その頃はずいぶんよく勉めもしたようだが、しかしまたずいぶんよく遊びもしたようだ。
 遊び場は、前の片田町にいた時とは違って、もうすぐ前の練兵場ではなくなっていた。前にも言った大宝寺の射的場のバッタ狩り。その後ろの丘の茸狩り。昔殿様の遊び場であった五十公野山の沢蟹狩り。また、昔々、何とかという大名が城を囲まれて、水路を断たれて、うんと貯えてあった米を馬の背中にざあざあ流して、敵に虚勢をはって見せたという城あとの加治山。そこではまだ、頂上の狭い平地の赤土をちょっと掘ると、黒く焦げた焼米が出て来た。綺麗な冷たい水の加治川。それらはみな、子供の足にはちょうどいい遠足の一里前後のところにあった。

 あの夏の日、僕は虎公と一緒に加治山へ遊びに行った。山百合が真盛りだった。
 虎公は百合の根を掘りはじめた。虎公はその家の裏に広い畑があって、よくその年とったお婆さんの手伝いをしていろんなものを作っていたところから、そんなことについての知識を持っていたのだ。僕も一緒になって掘りはじめた。収穫は大ぶ多かった。が、僕はそれをすっかり虎公にやってしまった。
「虎公のうちは貧乏なんだから……」
 僕はそうきめていたのだ。虎公はまた釣が好きで、よく朝の三時頃から連れ出されたが、そんな時にもいつも僕は全収穫を虎公にやっていたのだ。
 が、帰りがけに僕は、母が何かちょっとした病気で寝ていることを思い出した。そして百合の花をおみやげに持って帰ることに気がついた。僕はあちこち駈け廻って、なるべく大きそうなそして幾つもの花のついている、十幾本かを蒐めた。
 二人とも大喜びで帰った。そして僕はすぐに離れの母が寝ている室へ行った。
「根の方を持ってくればいいのにね。ほんとにお前は馬鹿だよ。そしていつも虎公にそんな
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