熱くなるほど頬ずりをしてくれた。
この狐の嫁入りについては、あとで、次のような伝説をきいた。
昔何とかいう大名と何とかいう大名とがそこで戦争をした。何とかの方は攻め手でかんとかの方は防ぎ手だった。防ぎ手はとても真ともではかなわないことを知って、ある謀りごとをめぐらした。それはこの辺が一面の沼地で、ちょっと見れば何でもない水溜りのように見えるのだが、過まってそこへ落ちこめばすぐからだが見えなくなってしまうほどの深い泥の海のようなものだった。この沼の中へ案内知らない敵を陥しこもうというのだ。味方はみな雪の上を歩く「かんじき」というのをはいた。そしてわざと逃げてこの沼地の上を走った。敵はそれを追っかけて来た。そしてみんな泥の中にはまって姿が見えなくなってしまった。その亡霊がああした人玉になってまだ迷っているのだと。
実際その辺の田からは、その頃でもまだ、よく人の骨や槍や刀や甲などが出てきた。
三
父が戦争から帰って来る少し前に、家はまた片田町の、前のとは四、五軒離れたところに引越した。そしてそこから僕は二年間高等小学校に通った。
学校の出来はいつも善かった。尋常小学校の一年から高等小学校の二年まで、三番から下に落ちたことはなかった。高等小学校では、町の方の尋常小学校から来た大沢というのをどうしても抜くことができずに、二年とも大沢が級長で僕と大久保とが副級長だった。大久保は僕よりも一つ年が多く、大沢は二つくらい多いようだった。
高等小学校にはいってからは、学校のほかにも、英語や数学や漢文を教わりに私塾に通った。英語は前にいた片田町の家の隣りの速見という先生に就いた。どんな学歴の人か知らないがハイカラで道楽者のように見えた。生徒は朝から晩までほとんど詰めきりで、いつも三、四十人は欠かさなかったようだ。数学と漢文とは、その英語の先生がいなくなってから教わり出したように思うが、最初の先生は名も顔もまったく忘れてしまった。が、ただその家が外ヶ輪[#底本では「外ケ輪」]という兵営の後ろの町にあったことだけを覚えている。
二度目の漢文の先生は監獄の看守だった。背の低い、青い顔をした、ずいぶんみすぼらしい先生だった。それにその家もずいぶんみすぼらしい家だった。先生は朝早く役所へ出かけるので、僕はいつもまだ暗いうちに先生の家へ行った。生徒[#「生徒」は底本では「先徒
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