文学』は許可になった。本年末にいろいろ読み終えた本の郵送をする。
やがて二人出る。村木はそうでもないようだが、百瀬は大ぶ痩せた。一度ぐらい大いに御馳走してやってくれ。来月末には厳穴※[#始め二重括弧、1−2−54]赤羽※[#終わり二重括弧、1−2−55]が出る。その次は来年の正月の兇徒連。人のことではあるがうれしい。
暑くるしいので筆をとるのが大儀至極だ。これで止す。さよなら。
*
堀保子宛・明治四十二年十月九日
先月はずいぶん手紙の来るのを待った。二十日過ぎにもなる。まだ来ない。不許にでもなったのだろう、とも思って見たが、しかし来ないのは僕のところばかりでもないようだ。堺のところなぞもまだ来た様子がない。少し変だ。きっとこれは社会に何か異変があったのに違いない。あるいは愚堂※[#始め二重括弧、1−2−54]内山愚堂、大逆事件の一人、その事件の起る少し前に不敬事件で収監された※[#終わり二重括弧、1−2−55]の事件からでも、飛んでもない嫌疑を蒙って、一同拘引というようなことになっているのじゃあるまいか。さあ、こう考えると、それからそれへといろいろな心配が湧いて来る。監獄にいるものの頭は、あたかも原始の未開人が天地自然の諸現象に対するがごとく、または暗中を物色しつつ行くもののそれに似ている。何か少しでも異常があれば、すぐに非常な恐怖をもってそれに対する。あとで考えると可笑しいようでもあるが、本当にどれほど心配したか知れない。
一日の面会で無事な足下の顔を見て初めて胸を撫で下ろした。こんどはなるべく注意して不許になるようなことは書かないようにしてくれ。何もそう無暗に長いものを書くにも及ばない。僕はただ足下がどんなにして毎日の日を暮しているか、それがよく分りさえすりゃ満足なのだ。
しかし足下も前の巣鴨の時と違って、こんどはいつも肥え太った、そしてあざやかな笑顔ばかり見せるので、僕は大いに安心している。あの頃から見ると足下も大ぶえらくなった。ただ人の助けを待つ、ということのかわりに、細いながらも自分の腕を働かせて行く。ずいぶん困ってもいるのだろうが、そうピイピイ泣言も言わない。一軒の家に一人ぽっちで住んでいる。これらはとても昔の足下にはできなかったことだ。僕は本当に感心している。もうざっと一年ばかりの辛棒だ。まあ、しっかりやってくれ。
この手紙の着く頃はちょうど『議論』の出る予定の頃だと思うが、広告のとれ具合はどうか。雑誌の種類も前のとは大ぶ違うし、それにあまり広告に向くものでもなし、よほど困難なことと察せられる。ただ、今までのお得意にせびりつくのだね。十二月の面会の時には是非雑誌を一部持って来て、せめては足下の働きぶりだけでも見せてくれ。
英語はやはり続けてやっているか。先生をかえたのは惜しいことをした。足下なぞは自分で勉強する方法を知らんのだから、よほど先生がしっかりしていないと駄目だ。ともかくも僕のロシア語と競争にしっかりやろうじゃないか。僕もあの文典だけは終った。来週から先日差入れの本にとりかかる。
幽月はいよいよ寒村と断って、公然秋水と一緒になったよし。僕はあの寒村のことだから煩悶をしなければいいがと心配していたが、案外平静なようなのでまずまず安心している。いつかも慰め顔にいろいろと問い尋ねる看守に、かえってフリイ・ラブ・セオリイなぞを説いて、こうなるのが当り前でしょうよと言ってカラカラと笑っていた。しかし例の爪は見てもゾッとするほどひどく噛みへらされてしまった。※[#始め二重括弧、1−2−54]寒村は爪を噛む癖があった※[#終わり二重括弧、1−2−55]さていよいよ公然となれば、いわゆる旧思想※[#始め二重括弧、1−2−54]秋水等はこう呼んでいたそうだ※[#終わり二重括弧、1−2−55]とかの人達はだまっている訳にも行くまい。いずれいろいろ喧しいことと思う。しかし足下なぞはいつかも言った通りあまり立ち入らんようにするがいい。
横田は本当に可哀相なことをした。僕はあの男がついにその奇才を現すことなくして世を去ってしまったのがいかにも残念で堪らぬ。それに僕をもっともよく知っていたのは実に彼だった。僕は彼の訃を聞いて、あたかも僕の訃に接したような気がする。前の僕の手紙の文句は伝えてくれたことだろうね。
次の書籍差入れを乞う。
エス語散文集、ディヴェルサアショイ(エス語文集、前の手紙を見よ)、フンド・デル・ミゼロ、以上三冊合本。
日本文、金井延著、社会経済学。福田徳蔵著、経済学研究。文芸全書(早稲田から近刊の筈)英文、言語学、生理学(いずれも理化科学叢書の)、科学と革命(平民科学叢書の)、ワイニフンド・スティブン著、フランス小説家。
仏文、ラブリオラ著、唯物史観。ルボン著、群集心理学。
独文、ゾンバルト著、労働問題。菜食主義(ドクトル加藤所有。これは長々の実行で実は少々心細くなったから、せめてはその理論だけでも聞いて満足していたい。ドクトルにそう言って借りてくれ。)
露文、トルストイ作民話(英訳と合本して)
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大杉伸宛・明治四十二年十一月二十四日
父の死! 事のあまりに突然なので、僕は悲しみの感よりはむしろ驚きの感に先きだたれた。したがって、涙にくるると言うよりはむしろ、ただ茫然自失という体であった。すると、この知らせのあった翌日、君が面会に来た。そして家のあと始末を万事任せるとの委任状をくれと言う。僕は承知した。
しかしあれは取消す。そして次のように考えを変えた。まず保子にある条件を委任して、三保に行って貰い、調べることは調べ、処理すべきことはみんなと相談して処理すること。またその後の話によれば訴訟事件※[#始め二重括弧、1−2−54]父と父の関係していたある会社との※[#終わり二重括弧、1−2−55]もあるとのことだから、別に僕の知人の弁護士にもある条件を委託して保子と一緒に三保へ行って貰うこと。なおその外には種々なる法律上の問題もあろう。それらについては万事この弁護士を顧問とするがいい。この人は従来しばしば僕等が世話になった人で、こんども多忙のところを、友誼上いろいろと引受けてくれることとなったのだ。そのつもりで相応の尊敬を払って相談するがいい。
保子はともかく僕の妻だ。僕の意見は大体話してもあり、また手紙で書き送ってもある。したがってその言うことは大体僕の言葉と承知して貰いたい。君はまだ親しくもない間柄ではあるが、僕よりは年上のことでもあり、世路の種々の艱難も経て来てい、ある点ではかえって僕よりも確かなところがある。保子とはいろいろよく打ちあけて話し合うがいい。
要するに、家の整理はこの二人を僕と見て、そして、猪《いのこ》伯父(たぶん今三保にいるのだろうと思う、もしいなければ除く)母※[#始め二重括弧、1−2−54]その二、三年前に来た継母※[#終わり二重括弧、1−2−55]および君の五人で相談してきめることにしたい。
僕は元来まったく家を棄てたものだ。かつて最初の入獄の時、東京監獄からそのことを父に書き送ったことがある。父は君にもそれを見せたと思う。しかし僕が家を棄てたのは、それで長男たる責任をまったく抛ったのではない。父の生きている間は父に相応の収入もあり、またその他のすべての点においても、僕が居なくとも事がすむと思ったからだ。用のない家庭の累からまったく僕の身を解放して、そして他に大いに有用な義務を尽そうと思ったからだ。されば家を出てからは、ほとんどまったく弟妹をも顧みず、また父にも僕の廃嫡を願って置いた。僕はこれに対して父や弟妹等がどんなに悲しく情けなく思っていたか、それはよく知っている。しかし時には自ら泣きながらもなおあえてこの行為を続けていた。
しかし父が死んで見れば、僕はそうしてはいられない。僕の責任を尽さねばならぬ。今は僕がやらなければやる人がない。もとより僕の思想は棄てることはできぬ。僕は依然としてやはり社会主義者だ。むしろ獄中の生活は僕の思想をますます激しくする傾きがある。ただもとの僕はほとんど一人身のからだであったが、今からの僕は大勢の兄弟を後ろに控えたからだだ。したがってその間に僕の行動に多少の差がなければならぬ。僕は勿論この覚悟をしている。この点はよく察して貰いたい。
僕はまだ母とは親子として対面したことがない。また手紙での交通もしたことがない。そしてお互いの間にはいろいろ誤解がわだかまっているようだ。しかし僕は、母は母として尊敬する。ことに父の死後はなおさらに謹みを深くする。君もこんどは保子が中にはいることでもあり、十分お互いの融和を謀るがいい。
それから、君が今勉めなければならぬ最大の責務は、幼弟幼妹等に対して十分の慰めと励みとを与えることだ。父は死ぬ。頼みとする僕は牢屋にいる。みんなはほとんど絶望の淵にいるに違いない。君以下の弟妹等の今後の方針については保子に詳しく書き送ってある。なお、君の希望も十分保子に話してくれ。
この手紙は伯父が三保にいるなら見せてくれ。また、母にも、もし君に差支えがないなら、見せてくれ。
*
堀保子宛・明治四十二年十一月二十四日
一昨々日大体の話はしたが、時間の都合やまた口の不自由なところから、十分の話もできず、言い落したこともありまた言い切れないこともあった。この手紙で再び詳しき僕の意見を言おう。
まず第一の問題は母だ。弟は出すと言っている。また弟の言によれば母自身も出る意があるとのことだ。母から足下に送った手紙には、あくまで止って家のために尽すとあるそうだ。僕の思うには、出すというのは勿論酷だ。しかし、出る意があるなら勿論出て貰いたい。また、あくまで止るという母の言も文字そのままに受取ることはできぬ。母としては面目上必ずそう言わねばならぬ位置にある。そこで足下は女同士でもあり、互いに話もしいいと思う、よく母と打ちあけて談合して見るがいい。したがって、案は、母が出るものとしてのそれと、止るものとしてのそれと二つになる。
次に起るのは財産の問題だ。財産と言ってまず目星しきものは昨日話した通りだ。
もし母が出るとすれば、あの中の保険金は母の持参金としてもどさねばならぬ。その上、母の将来の生活の幾分かの保証として、多少これに附加するところなければならぬ。それは年金の中三百円乃至五百円ぐらいでよかろうと思う。そのかわり、今母の名義になっている地所は置いて行って貰いたい。家と土地と持主が違ってはいろいろ不便でもあり、また母の持参金を返すとすれば、自然その地所を母の名とする理由も消えるわけだ。されば母の方から言えば、その地所をこの手切れとも言うべき三百円乃至五百円で売るということになるだろう。
僕はその土地の広さは知らぬが、高の知れたものと思う。しかし、もし今訴訟になっている金が取れるようなら、五百円ぐらいは出して当然かと思う。年金の外、この十二月には父の恩給の半年分が下ると思う。他は足下が行ってよく調べて貰いたい。
その次は子供の問題だ。母が出るとしても、体裁上今すぐというわけにも行くまい。僕は子供の都合上、来年三月の下旬あるいは四月上旬をもってその期としたい。その時はちょうど学年の終りあるいは始めの時だ。そして、子供はみな東京に集めて、足下にその世話を頼みたい。またもし母が止るとしても、三保の家は引上げて、東京で僕の家の近所に住んで貰いたい。したがってあの家および土地は売払わねばならぬ。
その後は子供の教育だが、僕はできるならすべてのものに高等教育を施したい。伸も今のままで置くことはできぬ。どこかその希望する専門学校に遣るか、あるいは今切に望んでいる米国行きを実行さすか、いずれかにしたい。勇も今の学校を終ってすぐ社会に出すことはできぬ。さらに高等教育を施したい。松枝はともかくも女学校を終らせて嫁にやらねばならぬ。僕はこの三人の費用のために鉄工場の金および家と土地を売払った金の全部をもって当てたい。
進も今のような時代遅れのことはさせて置きたくない。それと他の幼妹
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