らに怠け怠けてやっていたような蕪雑な粗漏のないことを信じて安心している。
 広告はよくあれだけ取れたね。大いに感心している。自分の方の広告はいっさいしないのだから、初めから売捌けのよかろう筈はない。したがってその間は、この方面に全力を尽さなければなるまい。
 なが年のお手並みだ。これだけでも経済の立って行かぬことはあるまい。ともかく、以前のように月に一、二度ちょっと歩き廻るぐらいのやり方をよして、一生懸命に走り廻るがいい。
 売捌きの景気はどうだ。先日話した『平民新聞』の読者に端書を出すぐらいのことは是非やるがいい。もっとも、足下と守田との二人の連名で、責任ある購読勧誘状にしてもらいたいと思うが。それと幸い『二六』の人が大勢筆を執っているようだから、何とかして『二六』の読者に売りつける方法を考えないか。たとえば『読売』と『むらさき』との関係のように見せかけるとかして。このためには少々の金は出してもいいじゃないか。守田と兄とに相談して御覧。
 また、先日話のあった家庭講演なども、もしできるなら面白かろうと思う。大いに広告になるに違いない。ペンのためとあるからには、いろいろおかしなこともやって見るがいいさ。
 女中のかわりに誰か相応の人をほしいというような話であったが、夏になれば例のごとく動けなくなる情けない体だ。そんな時にちょっとかわりに集金ぐらいに出掛ける人がなくてははなはだ不便なことだろう。そこでちょっと思い出したが、世民の細君はどうしているか。こんどは赤ん坊もあることなり、大いに困っているのじゃないか。もし何だと両方に好都合だと思うが、足下にその気があるなら、それとなく訪ねて行って見ないか。
『早稲田文学』は小説ばかりだからというので不許になった。こんどは『帝国文学』と『新天地』とを入れて見てくれ。もしできるなら一月頃からのが欲しい。
 抱月の近代文学研究が出たら買ってくれ。文芸百科全書はいずれ高いものだろうと思うが、何とかして手にいれることはできないか。兄キなどは持っていていい本だと思うがね。三宅博士の宇宙、これも大ぶん高い本だからあえて買うには及ばないが、もし誰か持っていたら借りてくれ。
 イタリア文でレスプブリカ(イタリア史)というのが本箱の中にある。たしか同じものが二冊あって、そしてそのいずれもこわれていて、二つ合せて初めて完全なものになるように思った。ちょっとした大きな本だ。差入れを乞う。
 何か英語の雑誌で交換に送って来るものがあったら百瀬に差入れてやってくれ。
 いつかのエスペランタユ・プロザゾエ(エス語散文集)、ない筈はないのだが、あるいは表紙がとれているかも知れん。もう一度さがして見てくれ。僕への書物の差入れは、ついででもなければ六月の面会の時までは必要ない。
 諸君に仲よくするように。よろしく。
   *
 堀保子宛・明治四十二年六月十七日
 ちょうど一年になる。早いと言えばずいぶん早くもあるが、また遅いと言えばずいぶん遅くもある。妙なものだ。
 窓ガラスに映る痩せこけた土色の異形の姿を見ては、自分ながら多少驚かれもするが、さりとてどこと言ってからだに異状があるのでもない。一食一合七勺の飯を一粒も残さず平らげて、もう一杯欲しいなあと思っているくらいだ。要するに少しは衰弱もしたろうけれど、まず依然たる頑健児と言ってよかろう。
 ただ月日の経つに従ってますます吃りの激しくなるのには閉口している。この頃ではほとんど半唖で、言いたいことも言えないから何事も大がいは黙って通す。これは入獄のたびに感ずるのだが、こんどはその間の長いだけそれだけその度もひどいようだ。不愉快不自由この上もない。
 かくして一方では話す言葉は奪われたが、一方ではまた読む言葉を得た。ドイツ語もいつか譬えて言ったような、蛙が尾をはやしたまま飛んで歩く程度になった。シベリア※[#始め二重括弧、1−2−54]ジョルジ・ケナンの『シベリアにおける政治犯人』の独訳※[#終わり二重括弧、1−2−55]ぐらいのものなら字引なしでともかくも読める。イタリア語は本がなかったので碌に勉強もしなかったのだけれど、元来がフランス語とごく近い親類筋なので、一向骨も折れない。さて、こんどはいよいよロシア語を始めるのだが、これは大ぶ語脈も違うので少しは困難だろうとも思うが、来年の今頃までにキットものにして見せる。
 いつかの手紙に近所に英語を教えるところができたから行こうと思うとあった。また先月の手紙にもまた○○へ行こうと思うとあった。思うのもいい、しかし本当に始めればなお結構だ。幸い若宮が近くに住むようになったから、頼んで先生になって貰うといい。語学の先生としてもまた他の学問の先生としても、○○よりはどれほどいいか知れない。ただとかく女は語学を茶の湯活花視するので困る。もしやるなら真面目に一生懸命にやるがいい。そして僕の出獄の頃には一とかどのものにして置いてくれ。
 先月の手紙で大体の様子はわかった。さすがに世の中は春だったのだね。しかも春風吹き荒むという気味だったのね。※[#始め二重括弧、1−2−54]幽月と秋水との情事を指す※[#終わり二重括弧、1−2−55]おうらやましいわけだ。しかし困ったことになったものだ。と言っても、今さら何とも仕方があるまい。善悪の議論はいろいろあることだろうが、なるべく批難することだけは止めてくれ。汝等のうち罪なきものこれを打て。僕などはとうてい何人に向っても石を投ずるの権利はない。
 そんな事情から足下は一人の後見を失い、またほとんど唯一の同性の友人を失ってしまった。今後は守田※[#始め二重括弧、1−2−54]有秋君※[#終わり二重括弧、1−2−55]とか若宮とかの、よく世話をしてくれる人達に何事も相談して、周到な注意の下に行動するがいい。その上での出来事なら、たとえ僕の「将来の運動に関係」しても、また僕の「面目に係わ」っても、僕は甘んじてその責任を分ける。ただ女の浅はかな考えから軽はずみなことをしてくれるな。
 幽月は告発されているよし。こんどはとても遁れることはできまいと思うが、平生の私情はともかくとして、できるだけの同情は尽してくれ。
 雑誌の売れ行きについては多少悲観もしていたが、先日の話によれば思ったほど悪くもなさそうなので大いに安心した。あんな小さい雑誌で、ともかくも一家が食って行けるとはありがたいことだ。しかしこれはみな編集者を始め大勢の寄書家諸君のお蔭だ。そのつもりで、足下は一方に広告や売捌きに勉強して、それらの人々の労に報ゆるとともに、一方にはできるだけその雑誌の上で他の人々の便宜をはかる心掛けを持ってくれ。たとえば、仲間のものの商売の紹介をするとかあるいは広告をするとかして。
 社名は兄キの意見通り保文社とかかえる方がよかろう。しかし出版は当分見合すがいい。そしてもしそんな金があったら、広告の方に費ったらよかろう。
 次の書籍差入れを乞う。
 ウォド著ソシオロジー(社会生理学)、ヘッケル著(人類史、原名は忘れた)以上英文。※[#始め二重括弧、1−2−54]監獄では、とかく社会学とか進化論とかいう名を嫌うので、この二冊の本は不許可になった。が、こうして同じ本を名を変えて入れて貰ったら、無事に通過した。千葉の役人は英語も碌に読めないので、本の表題を和訳して差入れたが、同じ本を幾度も幾度も名を変えては差入れして、結局は大がい無事に通過した。※[#終わり二重括弧、1−2−55]ルッソオ著エミル(教育学、仏文)。Diversajoj(エス文集)。横田から大西、高山二博士の著書を、持っているだけ借りてくれ。横田の病気はどうか。よろしく。
 安成に『早稲田文学』の一月号にあったモダーニズム・エンド・ローマンス(近代文学)の原書を、もし借りることができたら借りて貰うように頼んでくれ。前の手紙に言った文芸百科全書もこの一月号の広告に出ていたのだ。近代文学研究は二月号の雑誌の中に予告があった。どちらも未だ出版にならぬのか。
『帝国文学』の最近号を二、三冊合本して送ってくれ。たぶん差支えなかろうと思う。
 数日前に書物の郵送を願ってある、その中の社会学教科書と人間進化論とは不許、『世界婦人』も勿論不許、石川によろしく礼を言ってくれ。『世界婦人』とも商売仇のような見っともないことはしないで、互いに広告の交換でもし合うがいい。かつて面会の時に頼んだ日本文学史は守田の本を指したのだが、外の本が来ているようだ。これは至急送るように。
 吉川夫人のことは都合よく行ってよかった。子供のあるのは少しうるさくもあろうが、またその世話をしたりするのも面白いものだ。お互いに助け合って仲よく暮して行くがいい。
 諸君によろしく。暑くなる、足下も体を大事に。さよなら。
   *
 堀保子宛・明治四十二年八月七日
 ことしは急に激しい暑さになったので、社会では病人死人はなはだ多いよし。ことに弱いからだの足下および病を抱く諸友人の身の上心痛に堪えない。
 まだ市ヶ谷にいた時、一日、堺と相語る機会を得て、数人の友人の名を挙げて、再び相見る時のなからんことを恐れた。はたして坂口は死んだ。そして今また、横田※[#始め二重括弧、1−2−54]兵馬、当時第一高等学校在学中※[#終わり二重括弧、1−2−55]が死になんなんとしている。ただ意外なのは汪の死だ。あの肥え太った丈夫そうな男がね。横田には折々見舞いの手紙をやってくれ。彼は僕のもっとも懐しい友人の一人だ。否、唯一のなつかしい友人だ。
 八月と言えば例の月だ。足下と僕とが初めて霊肉の交りを遂げた思い出多い月だ。足下のいわゆる「冷静なる」僕といえどもまた感慨深からざるを得ない。数うれば早や三年、しかもその最初の夏は巣鴨、二度目の夏は市ヶ谷、そして三度目の夏はここ千葉というように、いつも離れ離れになっていて、まだ一度もこの月のその日を相抱いて祝ったことがない。胸にあふれる感慨を語り合ったことすらない。
 そしてこの悲惨な生活は、ただちに足下の容貌に現れて、年のほかに色あせ顔しわみ行くのを見る。しかし、これがはたして僕等にとってなげくべき不幸事であろうか、僕に愛誦の詩がある。ポーランドの詩人クラシンスキイの作、題して「婦人に寄す」と言う。

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水晶の眼もて人の心を誘い、
徒らの情《つれ》なさによりて人の心を悩ます。
君はまだ生の理想に遠い、
君はまだ婦人美を具えない。

紅の唇、無知のつつしみ
今やその価いと低い。
君よ、処女たるを求めず、
ただこの処女より生い立て。

世のあらゆる悲哀を甞めて、
息の喘ぎ、病苦、あふるる涙、
その聖なる神性によりて後光を放ち、
蒼白のおもて永遠に輝く。

かくして君が大理石の額《ひたい》の上に、
悲哀の生涯の、
力の冠が織り出された時、
その時! ああ君は美だ、理想だ!
[#ここで字下げ終わり]

 雑誌の禁止は困ったことになったものだね。しかしこれもお上の御方針とあれば致し方がない。かくして生活の方法を奪われたことであれば、まず何よりも生活をできるだけ縮めることが必要だろう。家もたたんでしまうがいい。そして室借生活をやるがいい。何か新しい計画もあるようだが、これはよく守田や兄などにも相談して見るがいい。社会の事情の少しも分らん僕には、なんともお指図はできないが、要するに仕事の品のよしあしさえ選ばなければ、何かすることはあろうと思う。日に十一、二時間ずつ額にあぶらして下駄の鼻緒の芯を造って、そして月に七、八銭ずつの賞与金というのを貰っている人間の女房だ。何をしたって分不相応ということがあるものか。
 せっかく持って来たバイブルをあまりにすげなく突返してはなはだ済まなかった。実はイタリア語ので二度も読んであきあきしたのだ。もっとも、もし旧約の方があるのなら喜んで見る。しかし、これもあの文法を読んでしまってからのことだから急ぐには及ばぬ。それと同時に自然、辞書の必要も生ずるのだが、露和の小さなのがあると思う。お困りの際だろうが、何とかして買ってくれ。『帝国
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