二人の当分の教育のためには扶助料をもって当てたい。もし工場の金が取れるようなら、倹約すればこれでやれぬことはなかろうと思う。
 しかし大勢のことだ、案外に金の掛ることもあるだろう。もとより不足は僕が負担せねばならぬ。もしやむを得なければ、僕は当分社会運動の表面から退いてもなさねばならぬことはする。足下は元来社会主義者というわけではない。ただ義兄および夫に附随してその運動に加わっていたと言うに過ぎぬ。もし子供の世話をするとなれば、運動のごときいろいろな累を及ぼすことは避けて貰いたい。
 以上は僕が家の処分をするとしての大体の考えだが、さらにここに考えねばならぬことがある。それは僕の身の上だ。元来僕は自ら家を去ったものだ。そして父からはまったく勘当同様の待遇を受けていたものだ。したがって親戚全体からもはなはだ不信用だ。されば今、こんな問題に対しては遠慮に遠慮を重ねて行動するのが至当であろうと思う。
 まず前述のごとくにして得べき金、これを僕の手に渡すのは誰もみな不賛成だろう。僕自身もまたはなはだ危険に感ずる。僕はもとより家の金を一厘たりとも僕自身の用のために費いたくない。それで金はすべて山田家に保管を頼みたい。
 また、母が止ることとなれば、母はすべての私有権を放棄して、そして同じくこれを山田家に保管させたい。母が家のために尽すと言いながらなおその財産の幾部分かの私有権を主張するのはすこぶる可笑しなことになる。しかし、それでは母として将来の身を不安心に思うかも知れぬ。もししからば、その最初の持参金だけは、将来不幸にして離縁というようなことになれば返す、との証文を渡して置いてもよかろう。もっとも、これには他の条件も附せねばならぬが。
 また、子供の教育をも僕等に委せられぬとの議論もあるかも知れぬ。この任は、他に相応の人があるならお譲りしてもいい。
 さらに進んで大杉家を僕に継がすこともできぬと言う人もあるかも知れぬ。さればこれも、誰にでもお譲りする。ただ一条件がある。それは前述のごとき家の整理、子供の教育方針などの判然きまった後でなければならぬことだ。この安心のできぬ間は、僕は決して動かない。
 まずこれで大体の話はすんだようだ。足下はこの手紙を持って山田へ行ってこの相談をして貰いたい。山田はその意見を猪伯父あるいは伸の許に書き送って貰いたい。同時に足下は静岡へ行って、一方伯父および伸と謀るとともに、一方母との交渉をして貰いたい。
 かくしておよその話のきまった上で、伯父、母、伸、足下等が集って、判然たる処置をきめて貰いたい。山田は先妻の親戚としてこの相談に直接に与かることを憚るだろうが、右言うようなことなら勿論承知するだろう。また、山田からは別に紀州へも報告を送って大山田の意見をも猪伯父あるいは伸に送って貰えばさらにいい。足下はまた、春および菊の許に詳細の報告をして貰いたい。横浜にいる松枝にも会っていろいろ話して見るがいい。
 別紙弟への手紙も山田に見せてくれ。この手紙は伯父および伸には見せていい。また、必要があるなら母にも見せていい。渡辺弁護士には両方とも見せてくれ。
 万一これで話がまとまらぬなら致し方がない。ともかくも新戸主としてのすべての僕の権利を遂行して、一方財産の離散を防いで置いて、さらに僕の命をまって貰いたい。
 来月の僕の手紙は足下から何とか報知のあるまで延して置く。きのうようやく印鑑が来たという話があった。今、印鑑届および委任状を書くことのお願いをする筈だ。さればたぶん本月中には足下の許に着くだろう。母にも別に手紙を出すといいのだけれど、いろいろ誤解のある間でもあり面倒だから止す。足下からよろしく言ってくれ。
   *
 堀保子宛・明治四十二年十一月二十四日
 先日話した外、なお階行社(軍人団体の会)および、助愛社(愛知県出身軍人の会)から多少の金の来るように聞いていた。もっとも、これは戦時の話で、戦時に限るのかも知れぬが。前者は山田に尋ねたらわかる。後者は三保の家にその規則を書いた小冊子がある。
 父が死ねば自然僕が戸主となって、役場へはその書換えの届けをする筈だと思うが、また父の葬式や何かにもすでにその必要があったのだと思うが、どうなっているのだろう。もしそとでできるのならやって置いてくれ。また、僕の寄留地などもこの際きめて置いたら都合がよかろう。
   *
 堀保子宛・明治四十二年十二月二十三日
 まだ三保にいるのかと思うが、ともかくも大久保に宛ててこの手紙を出す。表に至急としてあるから、いずれにしても至急足下の手にとどくだろう。
 弁護士からの手紙着いた。いろいろ面倒であったそうだが、母が出てくれることになったのは何よりもありがたい。ついては、さっそくとらねばならぬ処置に関して僕の意見を言おう。
 前に、もし母が出るとなれば来年の三、四月の頃をもってその期としたいと書き送ったが、こんどの母の態度を見ては、この上なお一日といえども子供を委して置くことはできない。すぐさま足下がかわって家政をとり、子供等をみんな引連れて、もしできるならこの暮れ中に東京に引上げたらどうか。
 伸は当分今の地位で辛棒せねばなるまい。将来についてはどんな希望をもっているのか知らぬが、この休み中は東京で一緒に暮すこととして、その間に若宮などに会わせて、よく相談さすがいい。もっとも、やがて徴兵適齢にもなるのだから、愚図愚図してもいられまい。その希望等については詳しく知らしてくれ。
 松枝は横浜のどんな学校にいるのか知らぬが、東京の相応の学校に転校したらよかろう。伸の話では、教会で教育してくれると言っていたが、これもよしあしであるが、もしそんな運びになるなら当分それでもよかろう。いずれにしてもこの休み中は東京で一緒に暮して、みなとよく相談するがいい。僕は久しく会わぬが、もう十七、八のいい娘盛りだと思う。したがって自分でも何等かの考えもあり望みもあるだろう。それらも詳しく知らしてくれ。
 勇は下宿から家に越して来て、家から今の学校に通ったらよかろう。僕はその学校の性質をよく知らぬから、こんどその規則書を手紙の中に入れて送ってくれ。また、勇の今後の希望なども知らしてくれ。これはちょっと思い浮んだ考えではあるが、来年学校を卒業したら、伸とともにアメリカへ行ったらどうかと思う。若宮などと相談してみよ。
 進はどんな条件でどんな状態で今のところにいるか知らぬが、この際家に引取るがいいと思う。他の幼い二人については、伸が何とか言うていたが、これも山田とかその他の肉親のもので世話するというならともかく、やはり家で育て上げようじゃないか。
 しかし、いずれにしてもまず金がいる。弁護士からの手紙で見れば、借金の外には目下何等の金もないようだ。ただ望月からは半額に減じてすぐ取れるように書いてある。しからばまずこれでいろいろ処分をせねばなるまい。葬式の費用というのは幾らか知らぬが、これと他の四百円という借金を払い済して、なお東京へ引上げる費用が残ってくれればいいが、もし不足するようなら、紀州の山田から借りるがいい。また、今後の生活費も来年の六月にならねばはいって来ないわけだが、その間はいるだけを同じく山田から借りねばなるまい。これは四谷の山田を通じてよく相談するがよかろう。
 家屋はできるだけの手を尽して、なるべく早く売払うことにしたいが、なかなかそう思うようにも行くまい。やむを得なければ、その間は貸別荘というようなことにしてもよかろう。引上後の留守居については、いいようにしてくれ。
 しかし、何と言ってもこの金ができなければ、伸、勇等の今後の進退ができない。またこれができれば別に山田から借金をしなくてもいいわけになる。なるべく早く売るように。
 また、父の軍服、刀剣、馬具等は、マントのごとき子供等に利用し得るものの外は、悉皆売払ったらよかろう。これはちょっとした金になると思う。売りかたについては山田に相談するがいい。その他のガラクタ物は、みな売るなり人にやるなり、また棄てるなりして、なるべく例の簡易生活法をとるがいい。
 東京の家は今のあたりでもよし、また都合によっては市中にはいってもよかろう。足下は弱い体でもあり、他に仕事もあり、また勉強もせねばならぬ身であれば、是非女中の一人は置かねばなるまい。よし松枝が来て手伝うとしても、いろいろ面倒なことの生ずるのを避けるため、少しぐらいの費えはあってもその方がよかろう。
 父は着物などには一向無頓着な人であり、また母はあんな人でもあれば、ずいぶんみんな不自由勝ちにいることと思う。大きな男の子には父のものがそのまま役に立つのもあろう。また、できるなら小さい子供等にも、この正月にさっぱりしたなりをさせてくれ。そして正月には餅でもウンと食わして、急に孤児になったというようなさびしい感じを起させないように、陽気に面白く遊ばしてくれ。
 なお、みんなは幼い時から母に別れて、いろいろな人の手に渡って育てられているのだから、ずいぶんいじけたり固くなったりして、本当に子供らしい無邪気な可愛気のない子もあるかも知れぬ。これらは、足下の暖かい情ですべて溶けてしまうように骨折ってくれ。
 足下の前の手紙に、一人で呑気にというような具合には行かぬものだろうかとあったが、本当に思わぬことからついにそういうこととなってしまった。足下はどうしても苦労をして一生を過ごさねばならぬ運命の人らしい。しかし人生には苦もあれば楽もある。またその苦の中にも楽がある。いかなる境遇にあっても、常にこの楽を現実としてまた理想として暮して行かねばならぬ。幸い僕等には子がない。また今後もあるまい。さればこの幼弟幼妹等を真の子として楽しんで育て上げて行こうじゃないか。足下には急に大勢の子持になってずいぶんと骨も折れようが、何分よろしく頼む。
 本月は面会にも来れまいが、来月は松枝でも連れていろいろの報告をもたらして来てくれ。その時、左の本持参を乞う。
 仏文。経済学序論。宗教と哲学。
 英文。イリー著、経済学概論。モルガン著、古代史。個人の進歩と社会の進歩。ロシア史。
   *
 堀保子宛・明治四十三年一月二十五日
 せっかく来たものを、しかもあんな用なのを、会わしてもよさそうなものをと思うけれど、お上のなさることは致し方がない。代りに臨時発信を願って今日この手紙を書く。
 あの時まだ着かないという委任状はその後どうなったろう。あれはこういう訳なのだ。先月の二十七日であったか八日であったか、書信係の看守が来て、典獄宛でこういうものが来ているがどうするかと言う。見るとあの一葉の委任状だ。しかし封筒も何もないので、誰が何処から送って来たのか分らない。それを聞くと、それを調べるには、明日になれば発信はできぬかも知れぬと言う。仕方がない。いずれ送ったものは足下に違いない。ただ足下の居所が分らない。しかしすぐまた三保へ行くとも言っていたし、またあの字を見るといかにもよく僕のをまねてはいるが伸の書いたもののようだ。そこで三保へ宛てることとした。そして足下の名だけでは分るまいと思って、伸の名をも添えて置いた。別に間違いはなかったろうね。
 家のことは、僕がいろいろな事情があるのだから是非会わしてくれと、少々理屈を言いかけたら、ついに僕の返事を聞かないで行ってしまったから、看守長は足下に何と言ったか知らんが、ともかく売ることにきめてあるのだし、それに委任状にも印を押して置いたから、いいように取りはからったことと思う。いい買手があったのか。
 家が売れたとなれば、これで遺産の大体の処分はついた。これからは僕等が、六人の弟妹という重荷を負って行くこととなる。僕等[#「僕等」に傍点]と言ったが、実はすべてのことの衝に当るのは僕でなくして足下だ。したがって、実際に重荷を負うのは足下だ。僕は、もし霊とかいうものがあって亡き父がこれを見たら何と思うだろうかなどと考えて見た。しかし父のためではない、僕のためだ。僕は、足下がこの運命に甘んじていることと思う。
 それは別問題として、
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