。
八
宿場の柱時計が十時を打った。饅頭屋の竈は湯気を立てて鳴り出した。
ザク、ザク、ザク。猫背の馭者は馬草を切った。馬は猫背の横で、水を充分飲み溜めた。ザク、ザク、ザク。
九
馬は馬車の車体に結ばれた。農婦は真先に車体の中へ乗り込むと街の方を見続けた。
「乗っとくれやア。」と猫背はいった。
五人の乗客は、傾く踏み段に気をつけて農婦の傍へ乗り始めた。
猫背の馭者は、饅頭屋の簀の子の上で、綿のように脹らんでいる饅頭を腹掛けの中へ押し込むと馭者台の上にその背を曲げた。喇叭《らっぱ》が鳴った。鞭《むち》が鳴った。
眼の大きなかの一疋の蠅は馬の腰の余肉《あまじし》の匂いの中から飛び立った。そうして、車体の屋根の上にとまり直ると、今さきに、漸く蜘蛛の網からその生命《いのち》をとり戻した身体を休めて、馬車と一緒に揺れていった。
馬車は炎天の下を走り通した。そうして並木をぬけ、長く続いた小豆畑《あずきばたけ》の横を通り、亜麻畑《あまばたけ》と桑畑の間を揺れつつ森の中へ割り込むと、緑色の森は、漸く溜った馬の額の汗に映って逆さまに揺らめいた。
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