が点いたやうで、去年の夏も今年の夏も区別がなくなり、少年の日が幻のやうに浮き上つて来るのである。舟に灯籠をかかげ、湖の上を対岸の唐崎まで渡つて行く夜の景色は、私の生活を築いてゐる記憶の中では、非常に重要な記憶である。ひどく苦痛なことに悩まされてゐるときに、何か楽しいことはないかと、いろいろ思ひ浮べる想像の中で、何が中心をなして展開していくかと考へると、私にとつては、不思議に夜の湖の上を渡つて行つた少年の日の単純な記憶である。これはどういふ理由かよくは分らないが、油のやうにゆるやかに揺れる暗い波の上に、点々と映じてゐる街の灯の遠ざかる美しさや、冷えた湖を渡る涼風に、瓜や茄子を流しながら、遠く比叡の山腹に光つてゐる灯火をめがけて、幾艘もの灯籠《とうろう》舟のさざめき渡る夜の祭の楽しさは、暗夜行路ともいふべき人の世の運命を、漠然と感じる象徴の楽しさなのであらう。象徴といふものは、過去の記憶の中で一番に強い整理力を持つてゐる場面から感じるものだが、してみると、私には夜の琵琶湖を渡る祭がそれなのである。このときには、小さな汽船の欄干の上に、鈴のやうに下つた色とりどりの提灯の影から、汗ばんでならぶ
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