顔の群が、いつぱいの笑顔の群となり、幾艘ものそれらの汽船の、追ひつ追はれつするたびに、近づく欄干はどよめき立つて、舟ばた目がけて茄子や瓜を投げつけ合ふ。舟が唐崎まで着くと、人々はそこで降りて、今はなくなつた老松の枝の下を繞《めぐ》り歩いてから、また汽船に乗つて帰つて来る。日は忘れたが、何んでもそれは盆の日ではなからうか。大津の北端に尾花川といふ所がある。ここは野菜の産地で、畑から這ひ下りた大きな南瓜が、蔓をつけたまま湖の波の上に浮いてゐた。この剽軽《ひようきん》な南瓜は、どういふものか夏になると、必ず私の頭に浮んで来る。尾花川の街へ入る所に疏水の河口がある。ここから運河が山に入るまでの両側は、枳殻《からたち》が連つてゐるので、秋になると、黄色な実が匂を強く放つて私たちを喜ばせた。運河の山に入る上は三井寺であるが、ここ境内一帯は、また椎の実で溢れたものだ。去年の私は久しぶりに行つてみたが、このあたりだけは、むかしも今も変つてゐない。明治初年の空気のまだそのままに残つてゐる市街は、恐らく関西では大津であり、大津のうちでは疏水の付近だけであらう。
 私の友人の永井龍男君は江戸つ子で三十近くま
前へ 次へ
全9ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング