後を振り返った。
「歩きましょうよ。こんなときでも歩かなければ、何しに来たのか分らないわ」と千枝子は云った。
定雄には、道はどこまでも平坦なことは分っていたが、清も弱るし、濡《ぬ》れた草履の冷たさは後で困ると思ったので、
「乗ろうじゃないか。気持ちが悪いよ」とまたすすめた。
「あたしは乗らないわ、だって登りがもうないんでしょう」と千枝子はまだ頑強《がんきょう》に一人先に立って雪の中を歩いていった。
「それじゃ、困ったって知らないぞ」と定雄は云うと尻《しり》を端折《はしょ》った。
道は暗い杉の密林の中をどこまでもつづいた。千枝子と定雄は中に清を挟《はさ》んで、固そうな雪の上を選びながら渡っていった。ひやりと肌寒い空気の頬《ほお》にあたって来る中で、鶯《うぐいす》がしきりに羽音を立てて鳴いていた。定雄は歩きながらも、伝教大師《でんぎょうだいし》が都に近いこの地に本拠を定めて高野山の弘法《こうぼう》と対立したのは、伝教の負けだとふと思った。これでは京にあまり近すぎるので、善《よ》かれ悪《あ》しかれ、京都の影響が響きすぎて困るにちがいないのである。そこへいくと弘法の方が一段上の戦略家だと思
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