た。しかし、もしこれが父の回忌ではなくって他人のだったら、こんな願いも起さずにいるだろうと思うと、いつまでも甘えかかることの出来るのは、やはり父だと、生前の父の姿があらためて頭に描き出されて来るのだった。彼は父が好きであったので、父に死に別れてからは年毎に一層父に逢《あ》いたいと思う心が募った。父は定雄の二十五歳のときに京城《けいじょう》で脳溢血《のういっけつ》のために斃《たお》れたので、定雄は父の死に目にも逢っていなかった。父が死んでから十年目に、彼は先輩や知人たちと飛行機で京城まで飛んだことがあったが、そのときも機が京城の空へさしかかると、まだそのあたりの空気の中に、父がうろうろさ迷っているように思われて、涙が浮き上って来たのを彼は思い出した。
ようやく長い誦経がすんで、一同は広い高縁に立つと、陽《ひ》のさしかかって来た市街が一望の中に見渡された。
「さアさア、これで役目もすみましたよ」
そういう姉の後から、千枝子もショールを拡げながら、「ほんとに、これで晴晴しましたわ」と云って高縁の段を降りた。
後はもう定雄は家内一同をつれて、勝手にどこへでも行けば良かった。
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