に、勿論《もちろん》火鉢も座蒲団《ざぶとん》もなかった。定雄の横へ敏子、清と並んで、定雄の姉が彼の次男を抱いている傍へ千枝子が坐った。見渡したところ異常はなかったが、姉に抱かれている次男の突き出している足に、靴がまだそのままになっていた。しかし、次男の靴はまだ下へも降ろしたこともなく、足袋《たび》代りの靴と云えないものでもなかったので、定雄は注意もせずに黙って僧侶の出て来る方を眺めていると、姉はそれを見つけたらしい。
「あら、慶ちゃん、豪《えら》そうに靴を履《は》いたままやがな。これゃどもならん」
と云って、笑いながら慶次の靴をとろうとした。
「良い良い」と定雄は云った。
「そうやな、愛嬌《あいきょう》があってこれもお祖父《じい》さん、見たいやろ」
 姉の言葉に慶次の靴を脱《ぬ》がそうとした千枝子もそのままにした。清と敏子とは仏壇の方を一度も見ずに、まだ石段からのふざけ合いをつづけながら、肩をつぼめて「くっくっ」と笑い声を忍ばせて坐っていた。
 誦経が始ると一同は黙って経の終るのを待っていたが、後から吹きつけて来る風の寒さに、定雄は長い経の早く縮《ちぢま》ることばかりを願ってやまなかっ
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