を習ふのに暮した。
二年程経つた。そして彼女も私も由も皆共に老いた。此夏になつて私が都から帰つて見ると、古い方の籠が空虚の儘物置の隅に置かれてあつた。酷く蜘蛛の巣がかかつてゐた。そして家の中には、めつきり老練さを増した彼女の謡ひ声と、私の一番末の弟となつて何処からか出て来た新しい人間の泣き声とが賑つてゐた。私は時々、末の弟が泣き出すと、彼女を棚から下して彼の眼の前へさし出した。「バーア、廣ちやんこれ何あに」すると廣は泣き止んで、額を籠の格子にピツタリ付けた。彼女は落ち付いて止木の上をアチコチ[#「アチコチ」に傍点]に飛んだ。が、廣の眼を運ぶより早いので、彼は反対の方許りを見た。其処へ由がやつて来ると、廣の頭をポンポン叩いて云つた。「廣ちや。是れトート。トートなあ」
或日私は彼女に餌を与らうとした時、その翅の極めて小さいのに気が付いた。其時不意に私の頭の中へドストエフスキーが現れた。彼は悲痛な顔をしてゐた。頬をげつそり落して、蒼白い額を獄砦の円木の隙間へ押しあてて、若芽の燃え出た黄緑色の草原のずつとかなたから漂うて来るキルギスの娘の唄に耳を傾けてゐた。――私の眼は熱くなつて、彼女の姿
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