大兄は卑弥呼の方へ振り向いて彼女にいった。
「爾の早き夜は不吉である。」
「大兄、旅の者に食を与えよ。」
「爾は彼を伴《とも》のうて食を与えよ。」
「良きか、旅の者は病者のように痩せている。」
 大兄は黙って若者の顔を眺めた。
「大兄、爾はここにいて我を待て、我は彼を贄殿《にえどの》へ伴なおう。」卑弥呼は毛皮を被《かぶ》って若者の方を振り向いた。「我に従って爾は来《きた》れ。我は爾に食を与えよう。」
「卑弥呼、我は最早《もは》や月を見た。我はひとりで帰るであろう。」大兄は彼女を睥んでいった。
「待て、大兄、我は直ちに帰るであろう。」
「行け。」
「大兄よ。爾は我に代って彼を伴なえ、我は此処で爾を待とう。」
「行け、行け、我は爾を待っている。」
「良きか。」
「良し。」
「来れ。」と卑弥呼は若者に再びいった。
 若者は、月の光りに咲き出た夜の花のような卑弥呼の姿を、茫然《ぼうぜん》として眺めていた。彼女は大兄に微笑を与えると、先に立って宮殿の身屋《むや》の方へ歩いていった。若者は漸く麻鞋《おぐつ》を動かした。そうして、彼女の影を踏みながらその後から従った。大兄の顔は顰《ゆが》んで来た
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