兄を見上げて黙ったまま片手で彼の頬を撫《な》でていた。
「ああ、爾は月のように黙っている。冷たき月は欠けるであろう。爾は帰れ。」
大兄は卑弥呼を揺って睥《にら》まえた。が彼女は微笑しながら静に大兄の顔を見上て黙っていた。
「帰れ、帰れ。」
と大兄はいいつつ彼女を抱いた両腕に力を籠《こ》めた。卑弥呼は大兄の首へ手を巻いた。そうして、二人は黙っていた。月は青い光りを二人の上に投げながら、彼方の森からだんだん高く昇っていった。そのとき、一人の痩《や》せた若者が、生薑《しょうが》を噛みつつ木※[#「木+患」、第3水準1−86−5]樹《もくろじゅ》の下へ現れた。彼は破れた軽い麻鞋《おぐつ》を、水に浸った俵《たわら》のように重々しく運びながら、次第に草玉の茂みの方へ近か寄って来た。卑狗《ひこ》の大兄は足音を聞くと立ち上った。
「爾は誰か?」
若者は立停ると、生薑を投げ捨てた手で剣《つるぎ》の頭椎《かぶつち》を握って黙っていた。
「爾は誰か。」と再び大兄はいった。
「我は路に迷える者。」
「爾は何処《いずこ》の者か。」
「我は旅の者、我に糧《かて》を与えよ。我は爾に剣と勾玉とを与えるであろう。」
前へ
次へ
全116ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
横光 利一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング