しながら、反絵を睥んでいった。
「爾の獲物《えもの》はこれである。」
「やめよ。我は爾と共に山を下った。」
「爾の矢は我の夫《つま》の胸に刺さっている。」
「我は爾の傍に従っていた。」
「爾の弓弦《ゆづる》は爾の手に従った。」
「爾の夫を狙った者は奴隷である。」
「奴隷はわれに従った。」
 反絵は奴隷の置き忘れた弓と矢を拾うと、破れた蜘蛛の巣を潜《くぐ》って森の中へ馳け込んだ。しかし、彼の片眼に映ったものは、霧の中に包まれた老杉と踏《ふ》み蹂《にじ》られた羊歯《しだ》の一条の路とであった。彼はその路を辿《たど》りながら森の奥深く進んでいった。しかし、彼の片眼に映ったものは、茂みの隙間から射し込んだ朝日の縞《しま》を切って飛び立つ雉子《きじ》と、霧の底でうごめく野牛の朧《おぼ》ろに黒い背であった。そうして、露はただ反絵の堅い角髪《みずら》を打った。が、路は一本の太い榧《かや》の木の前で止っていた。彼は立ち停って森の中を見廻した。頭の上から露の滴《したた》りが一層激しく落ちて来た。反絵はふと上を仰《あお》ぐと、榧の梢《こずえ》の股の間に、奴隷の蜥蜴《とかげ》の刺青《ほりもの》が青い瘤《こぶ
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