た。
「奴国の宮で、もっとも美しき者は爾である。」と長羅はいうと、馬の上へ飛び乗った。
 香取の一層赧らんだ気高《けだか》い顔は柳の糸で隠された。馬は再び王宮の方へ馳《か》けて行った。
 しかし、長羅は武器庫の前まで来たときに、三人の兵士が水壺の中へ毒空木《どくうつぎ》の汁を搾《しぼ》っているのを眼にとめた。
「爾の汁は?」と長羅は馬の上から彼らに訊《き》いた。
「矢鏃《やじり》に塗って、不弥《うみ》の者を我らは攻《せ》める。」と彼らの一人は彼に答えた。
 長羅の眼には、その矢を受けて倒れている卑弥呼の姿が浮び上った。彼は鞭《むち》を振り上げて馬の上から飛び降りた。兵士たちは跪拝《ひざまず》いた。
「王子よ、赦《ゆる》せ、我らの毒は、直ちに一人を殺すであろう。」と一人はいった。
 長羅は毒壺を足で蹴った。泡を立てた緑色の汁は、倒れた壺から草の中へ滲《し》み流《なが》れた。
「王子よ、赦せ、我らに命じた者は宿禰である。」と、一人はいった。
 忽《たちま》ち毒汁の泡の上には、無数の山蟻《やまあり》の死骸が浮き上った。

       七

 不弥《うみ》の国から一人の偵察兵が奴国《なこく》
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